誰も嗅いだ事のないいかがわしい臭い
ホロウ・シカエルボク





ふたつの言葉が死んで
ひとつのフレーズが残った
俺はそれを際限なく殴り
本物の血が流れてくるまで待った


稲妻は脳髄を
喰らいつくすように走る
傷みとも呼べそうな恍惚に
振り回されながら俺はキーボードを叩き続ける


ゆがんだ直線の道路
狂った坊主の読経
陰茎をおっ立てた牧師
日向で茶を啜るヴゥードウー


銀色の針が降り注ぐみたいな夜明けに
お前の一番汚れた部分を晒せよ
冷えたコンクリートの森で悟りを手に入れたいなら
生肉を屠る感触はブレインのコントロールで


お前は極彩色の夢を見たがる
手っ取り早く気持ちよくなりたがる
濡れるために必要なものがスタンダードな妄想だって言うんなら
漏らしたものはヴィトンのバッグにでも塗りつけておくがいいさ


どんなに空が晴れても
光の当たることのないビルの物陰で
ひとりの清掃人が売春婦の死体を解体している
それは仕事だ
秘密裏に処理せよと雇い主から命ぜられた
年老いた痩せぎすの小男には判っていた
この女は死んだが俺はまだ生きなくちゃならない
血塗れのミンクからはち切れそうな財布を取り出して自分のポケットに入れた
どこかの暢気なオフィスの窓から
オール・ニード・イズ・ラブが流れていた
小男はミック・ジャガーとそんなに歳が違わなかった
その歌を聴くと
いつでもミックの声を探してしまう癖があった


さらに三つの言葉が死んで
俺はひとつのフレーズを反復する
そして新しいフレーズが駆けだすのを眺める
植物の交配を試しているみたいなスタンスでそうしている
植物の交配を試してみたことなんか一度だってないけれど


お前はいつだって初めから
言葉というものを捨てている
肉体以上に語るものはこの世にないのだと
そう信じているみたいに見える
だからそんな風に解体されちまうんだ
祈りすら捧げられることもなしに
血と
どこかひやりとした内臓の臭いに
小男はしわだらけの顔をしかめた
暑くなる前でよかった
暑くなる前でよかったと
清掃中の看板で閉鎖された路地裏で空を見上げる
建造物の間で見える一筋の空は
神が滑るための道のように思える
男の首には冷汗ともただの汗ともつかないものが
世界を確かめるみたいにゆっくりと滑り落ちる


あらゆる文脈がストップして
俺はキーボードに指先を預けたまま画面を眺めている
昨日よりはましな気温なので
待っていることは別に苦痛じゃない


男は妙にそうしたことに手慣れていた
牛か豚を捌くみたいにたんたんと作業を進めていった
きれいな身体してやがるな

男は思った
その仕事についてまだ間がなかったのかもしれなかった
そしてそのキャリアは永遠に更新されることはない
排水溝に血が流れていた
ここらあたりの排水溝にはきちんとした蓋がついていたので
そこに流れているものを誰かが咎める心配はなかった


動かなくなった所から
ふたたび俺は書き始める
逃げた熱がまた指先を騒がせて
閉じかけた目がまた次の展開を欲しがる


90分で女の身体をそこからすっかり消してしまうと
路面を掃除して消臭剤を振りまいた
たいていの臭いは消えてしまう強力なやつで
そこらですぐに手に入るというようなものではなかった
雇い主がどんなルートでそんなものを手に入れているのか男には疑問だった

それについてはなにも聞かないことにした
多分聞かない方がいいことに違いないのだ
男は路面を細かくチェックして
やり残したことはないと結論した
仕事道具をコンテナに詰め込んで
その上に座って煙草を吸った
仕事を早く済ませ過ぎたことに気がついたのだ
一服したら専用のごみ捨て場に行って
でかいカゴの中にこいつを放りこんでしまえばいい
財布の中にはいくら入っているだろう
煙を吐きだしながら男は空を見上げた
そこを通過する神の姿は見当たらなかった


俺にはビニール袋の中の女の瞳が見える
その瞳がまだ生きていて
どんなものを見つめているのか知ることが出来る
彼女と言葉を交わすよりもはっきりと確かに
そして俺は新しいフレーズに手をつける
誰も嗅いだ事のないいかがわしい臭いが
そこに漂っているのならそれでいいさ










自由詩 誰も嗅いだ事のないいかがわしい臭い Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-06-08 00:06:39
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