影いろの世界
吉岡ペペロ
カワバタからのメールを朝めがさめて見ようとしたらメールが三件になっていた
ひとつはユキオから
ユキオからは、四月の六月、そのひとことだけだった
ヨシミはたまにユキオに写メだけを送る
ヨシミはそれに題名だけ付けて返信してもらうのが好きだった
四月の六月、はきのう送った写メへの題名だった
まえはふたりで歩いた桜花の写メを送った
四月の六月かあ、うまいこと付けるなあ、
ヨシミはいつもそれには返信せずにユキオのメールをじいっと見つめる
そしてしばらくヨシミの日常に、四月の六月、という題名が付くことになるのだった
きのうまでの題名は、いきものたちの銀河、だった
のこり二件はカワバタからだった
土曜の朝をそとに出た
曇り空だけれどまぶしかった
ヨシミはふと妙なことに気づいた
町には影がなかった
軒先から道にはみでたふぞろいな植木鉢にも塀したに置かれたごつい石にも電信柱にもまぶしいのに影がなかった
微風だけが耳のそばをすぎ生活の音がいじらしく聞こえていた
足もとをのぞいたらヨシミに影はなかった
しゅんかんヨシミの目に映るもの、ちがう、存在するものすべてがじぶんのカルテのように思えた
それはヨシミを自堕落で淫蕩な気持ちにさせた
歩道に乗り上げたカワバタの車を見つけた
ヨシミが屈みながらひょこひょこと近づいてゆくとカワバタの影がそれに気づいたように揺れた
カワバタがきょとんとした顔をして車から出てきた
ヨシミは満面の笑みで手を振って歩いていった
ごめんね、待たした?
え、いや、勝手に来ただけだから、
一時間くらいまえ起きたんだけど、朝よわいでしょ、女の子だから支度もあるし、
期待してないから、いいよ、
ありがとう、
カワバタの車に乗り自宅の車庫に入れさせた
このトイレが地獄のトイレ、一階のトイレをあけてヨシミが案内した
階段をあがってまた目の前に
ここが天国のトイレ、二階のほうが天国に近いからね、
三階に行こうとするカワバタをとめてリビングに座らせた
これお父さんが山で採ってきた水なんだ、飲んで、
カワバタはそれを一気に飲んだ
うめえ、勝手に体んなかにはいってくる感じだな、
うん、朝からカレーでも食べる?
え、カレー食べさせてくれんの、
カレーうどん、ヨシミ特製の、きのうお父さんのためにつくったんだけど、お父さん泊まりがけで山登りいっちゃったんだ、
ラジオかえていい?
カワバタはFMをNHKにかえた
なにか大事件でもあったかのような口調で11時のニュースが流れた
なにこれ、めちゃくちゃうめえじゃん、
いままでつくったやつもおいしかったでしょ、
あ、でもいままでサンドウィッチしか食べさせてもらってなかったような、
あのさ、
なに?
きのうプルートウぜんぶ読んだ、
アトムがうちの次男に似てるんだよ、髪の毛の立ち方とか、
元気なの?
うん、まあな、
それでなんだかわかんないけど、はじめてさ、シンゴとユキオのことどっちが好きなのか考えた、
オレだろ、
カワバタが立ち上がって向かいに座るヨシミをうしろから抱きしめた
カーテンあいてるからやめて、
ヨシミは食卓のうえのコップや器や夕刊やボールペンやダイレクトメールなどの夾雑物を見つめた
カワバタはぜんぶのちからでヨシミを抱きしめつくしていた
夾雑物にもやっぱり影がなかった
カワバタがヨシミから離れてヨシミの足もとにうずくまった
カワバタのからだが食卓のしたに消えた
そしてヨシミの足のゆびひとつひとつを口に入れた
ヨシミはそれをじぶんの影のように感じた
四月の六月、ヨシミはそうつぶやいた
四月に六月の影を見つけたユキオを思った
カワバタの影をユキオには知られたくない、いや、知らせたら可哀相だと思った刹那、カワバタに椅子から引きずり落とされたからか、愉楽からか、ユキオのことを考えていたことがばれたような気がしたからか、ヨシミは糸をひくような声をあげた