大好きな詩人を紹介してみます 「吉岡実」
非在の虹
そこには夜のみだらな狼藉もなく
煌々と一個の卵が一個の月に向かっている
「静物」より
吉岡実(よしおか みのる)の詩集『静物』の冒頭には、四つの「静物」という同タイトルの詩が並んでいます。
四つめの「静物」。その末尾がさきに引用したことばです。
はじまりは、以下のようです。
台所の汚れた塩
犬のたれさがる陰茎
屋根のつきでた釘の頭
と、生活感はありますが、いやなきざしです。
読みすすめば、やはり事態はまがまがしく進行し、
性的というより生殖のイメージが、祝福のない生殖のイメージが濃厚に語られていきます。
そして、引用の二行になります。
この「卵」というイメージですが、吉岡実の詩にはおなじみの語彙で、
ツルッとしたもの、硬さとあやうさ、そして昭和モダニスト好みのオブジェ感覚、と読み取っていました。
ところが最近、それだけではない、そんなオブジェなどというシャレたものではない、という思いにかられています。
俳人西東三鬼が、敗戦後まもなくの広島でよんだ句があります。
広島や卵食ふ時口ひらく
三鬼が死(絶対の殺戮が行われた街)に対置的においたこの「生きるための糧」。
生に直接つながるものとしての「ゆで卵」と同義ではないか、と思うのです。
吉岡の戦争体験、そして彼について言われることば「戦後詩」という単語を、ぼくは忘れていたかもしれない、と反省しているのです。
さて、ぼくにとって現代詩(ぼくは戦後詩とおなじ意味で考えていますが)の書き手で一番好きなのが、吉岡実なのです。
夢中になっていたときは、現代に生きた(生きる)詩人すべてを失っても、吉岡実ひとりいればいい。
詩人なんて、同時代にうじゃうじゃいるもんじゃあない、とまで思ったものでした(さすがに今は違いますよ)
さてこの詩人をどのように紹介したらいいのでしょう。
いちおう年譜風な書き方をします。
1919年(大正8年)東京の下町に生まれる。1990年(平成2年)71歳で死去。
作家の澁澤龍彦が簡潔に書いています。
「現代日本でいちばん不道徳な、いちばんエロティックな いちばんグロテスクな、いちばん犯罪的な、(略)詩を書く詩人」
・・・・・なるほどわかりやすい。
さらに「そして道徳的な詩人」と入れると完璧では・・・。
詩集『サフラン摘み』から同名の詩「サフラン摘み」の四行を引きます。
こんな作品です。
夕焼けは遠い円柱から染めてくる
消える波
褐色の巻貝の内部をめぐりめぐり
『歌』はうまれる
できれば、ここでまた、大好きな詩人や詩を紹介してみます。
(参考文献もろくにそろえないままにこの文章を書いています。まちがいがありましたらご教示いただければ幸甚です)