寄せる上げる潰す破裂
手乗川文鳥



牛です私決めました出産ですお立ち会いのもと牛です私牛です出産です決めましたお立ち会いのもと出産します牛ました私です決めました私牛を出産します。


産まれました
白と黒の牛は仔牛と呼ばれます私は乳を与えましたそれを母乳と呼びます私は呼びました「仔牛。」仔牛は答えました「ぎゅう。」
仔牛なので。
主人が雨の中私を迎えに来てくれました。
フラミンゴの折りたたみ傘をさしていました。
いえ、折りたたみ傘のフラミンゴだったかもしれません。
映画を観に行こうと言いました。私は仔牛を抱いてついて行きました。雨が降っていました、仔牛は小刻みにふるえていました、産毛がとてもあたたかでした。私もそうしてふるえていました。
     またもや牛。
新宿はもはや牛でした。出産したので私が、山手線には緑の牛が連なり中央線にはオレンジの牛が連なっており誰一人として運ばれて行きませんでした。ただ牛が列をなして鳴いているだけ。「ぎゅう。」
牛なので。


私の十月十日を牛が歩いていきました
私は主人の手綱を引きました。主人の首に、カウベル。「ぎゅう。」
牛でした。
男牛と仔牛と私の食卓。だんらん。にく。焼かれるのは牛か私か。主人(牛)が卓を叩いて叫ぶ「ぎゅう。」仔牛が泣く「ぎゅう。」私は黙る。人なので。私は食べる。母なので。もはや、
交差点には赤と青の牛がいる。誰が手綱を引くのか、私の。どうか産まれませんようにと願った十月十日前の私が無邪気に山びこ遊びをして、産まれたくないから、私は脚ではなく口を開いた(どうか無事に産まれませんように)(誰も何も私から)(剥がれてしまいませんように)
挨拶を、しよう。
「ぎゅうー。」
人として、
私は牛の乳を飲む。それを「もうにゅう」と呼ぶ。低温殺菌を白衣で、白い歯の笑顔、とても高い背とカルシウム。貝殻を拾い集めて、再構築する私の出産、母なる海というあやまち。私はただの母から産まれた為なんの関係もないのが海。そして巻き貝を耳に当てる。きこえる。「ぎゅう。」
またしても牛。
一リットル一九八円の清潔な紙パックに詰められた母。手に取りカゴに入れてレジに通す。バーコード「ぎゅう。」
どこまでも。


いつか仔牛は牛になり、私は抱きとめることが出来なくなる。
仔牛は私の力の及ばない場所へ出ていこうとする。
荒野を行く仔牛。星空を目指す仔牛。私は引きずられながら、私と仔牛の旅路、いえ、仔牛と、私の。
私はやがて母でも私でもなくただの肉片となる、
雨に打たれて洗われる肉。太陽に焼かれる肉。腐っていく肉。
そして肉から悪臭となり汚れとなって、仔牛に染みついて離れられない。あの黒い斑点のどれかが、かつて私と呼ばれるものだった。
沁み一つ無い真白な乳を出すごとに、また少し濃い沁みとなって、
そうして仔牛は乳牛となった。
私と一切関係のない場所で。
抱かれていろよ、牛。






自由詩 寄せる上げる潰す破裂 Copyright 手乗川文鳥 2010-06-04 00:20:45
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