首相も、都知事もよくは知らない在日米軍の「抑止力」。ジャーナリストの高野孟がニュースサイトの「Infoseek 内憂外患」に『“抑止力論の罠”に絡め取られた鳩山首相 ── これでは普天間問題は解決しない!』というタイトルの記事を執筆している。
http://opinion.infoseek.co.jp/article/846
高野は鳩山首相が仲井眞沖縄県知事に向けて発した「私は、海兵隊が必ずしも抑止力として沖縄に存在しなければならない理由はないと思っていたが、学ぶにつけ、沖縄に存在する米軍全体の中で海兵隊は抑止力を維持できるという思いに至った。」という発言を批判し、言うなら次のようなことを言うべきだったと記述している。
「学ぶにつけ、海兵隊を含む在日米軍のいわゆる"抑止力"は、前政権下では、まるで水戸黄門の御印籠のように扱われてきて、米国側から「抑止力だ!」と言われると、それだけで「ハハーッ」とひれ伏してしまっていて、在日米軍の各部隊と自衛隊との共用も含めれば全国120カ所もある米軍施設のそれぞれが、具体的にはどこからのどういう危険をどのように抑止するために駐留しているのかという具体的な検証は、一度たりとも日米間で真剣に議論したことがなかったという、独立国としてはあるまじき驚くべき現実が明らかになってきた。」云々と。
あの石原都知事をして「尖閣諸島で日中が衝突したら日米安全保障条約は発動されるのか。沖縄問題の前に日本の領土を守る抑止力があるかどうかを米国に確かめてほしい」だの、「海兵隊には本当に抑止力があるのか。(在日米軍が)火急のとき日本の国土を守るのか守らないのか、現政権が確かめてもらいたい。」だのと鳩ポッポに対して言わしめている謎多き?在日米軍抑止力?のことである。高野の記述する「具体的にはどこからのどういう危険をどのように抑止するために駐留しているのかという具体的な検証は、一度たりとも日米間で真剣に議論したことがなかった」ということも「事実」と見て間違いないのだろう。
ところで「抑止力」とは検証可能なものなのだろうか。明文化できるものだろうか。国家間の条約に具体的に記述できるものなのだろうか。「抑止力」とはそもそも想像的なものであって、その明文化不能、記述不能なる点にこそその「力」の源泉が「有る」のではないのか。したがって、そのイメージを共有しないもの、たとえば911の企画者や、極端な平和主義者らにとっては無いに等しいものということになるのかもしれない。
ポッポもこのイメージを共有しない人であったのだろうが、いつの間にかハトの脳みそにもこのイメージが像を結んできたようで、現在の彼は「私にも見えました抑止力が」みたいな状態のようだ。
この「イメージ」に関しては各々、自分のセンスに従っていればいいのかもしれない。私には見えない。