いのちのリレー
ベンジャミン
姉の子供が遊びにくると
正直こわい
加減を知らない無邪気なキック
ちょうどみぞおちにくる頭突き
誰から教わったのか知らないが
姉の技に良く似ているのは確か
「遊んであげてやったのよ」と
昔話をすると姉は言う
そうやって受け継がれてゆくもの
そんなことは本当はどうでもいい
去年のキックより重たいキック
去年より重たくなったすべて
無邪気にのしかかってくる
三人の子供たちが
どれも姉の顔に見えるときがある
そうやってリレーされてゆくのかと
こわさを容易く打ち消す
嬉しさがある
(それを眺めている姉の顔は
にんまりしていてこわいのだが)
※
亡くなった祖母の話をする母さんが
故郷の景色に重ねて窓の外を見ている
まったく違う景色に見ているのは
母さんが祖母を母さんと呼んでいた頃の
自分なのかもしれないと背中に見る僕は
母さんが見ている窓の外を懐かしく見る
小さい頃
母さんに似ていると言われるのが嫌だった
でもそんな頃はもう過ぎて
僕は
姉と姉の子供と母さんを見て
自分を映した窓を眺めて思う
パソコンで「いのち」と入力するとき
変換キーを押すのをためらう
そんな簡単なものではないと
きっと
今だから思えるのだろう