不成仏霊、今日も見果てぬ河岸を
ホロウ・シカエルボク


なにかが息をひそめて
脳髄の暗がりで
いかさまな計画を練ってる
刻々と過ぎてゆく時間
連続する健忘症が
まともに錯覚させてるみたいで
伸ばした脚の指先のあたりから
身体の実感がこっそり逃げ出してゆく
寝惚けて過ぎた日曜
音楽の歴史だけが
カーペットの上に薄く積み上がる
それは俺のようで
まるで俺じゃない何か
さあてね
診断を始めましょうか
手を胸にあててください
心臓が動いているのが判りますか
それはご自分の心臓ですか?
さあ
判りません
ご自分というのはなんですか
それは
俺の名前がついているこの身体ですか?
カルテには
中断と書きこまれた
ドクターの種類が違う
ドクターの種類が違うんだよ
俺以外の誰かならたぶん誰でもいい
俺以外の誰かならたぶん誰でもいいんだ
だけど
俺以外の誰かには
誰にも俺の鼓動を感じることは出来ない
さあてね
俺はカーペットに横たわった
ふん
知ることはそんなに重要なことではない
俺は知ることのためになど生きてはいない
病みのカテゴリなんかどうだっていいのさ
ドクター
あんたのことはあてにしない
「心臓が動いているのが判りますか」?
心臓なんて
動いてるか止まってるかしかしないものだよ
それだけ判ってれば充分じゃないか
俺は生きてる
心臓は動いているのさ
その蠢きに
感想なんか持つことは重要なことじゃない
確かに動きとしてそうと判っていれば
いろいろと納得しやすい部分はあるのかもしれないけれど
どんな結果が訪れようとも
ドクター
あんたは俺を納得させることなど出来やしない
俺は結果など欲しがっていない
俺が欲しがっているのは
式が存在しない算術のようなものだ
流動的で
油断のならない
式が存在しない算術のようなものだ
俺はそれを欲しがるあまりいろいろなものを見落としてしまうのだ
いつぐらいからだろう
方式というものが全くあてにならないものだと思うようになったのは
こんなものに手を出してしまった思春期からのような気がする
俺の中にはすでに
限定されない欲望ばかりが存在していたのだ
それは生きながらにして
亡霊のように成仏出来ない
俺は不成仏霊だ
生きながらにして
精神の闇を浮遊している
放熱に
地縛されている
どんな経文も
俺を自由に出来たりしない
なぜなら俺は
自由にこそ執着しているからだ
身体があるからこその
精神の自由
精神の解放
そんなものに
執着し続けて彷徨っているのだ
それが
どんなにまっさらな景色なのか
あんたに判るか
それが
どれほどの快楽を伴うものなのか
あんたにいったい判るか?
俺は祓えないぞ
理性という名の数珠では
俺は俺だけの昇華をするのだ
俺はそのやり方をきっと見つけ出すのだ
これは遊びじゃない
生業だ
俺は
俺だけのやり方で成仏を果たすのだ
判るかい
手本のない世界が大好きだ
先にあるものなどすべて
ロードマップのようなものに過ぎない
他の鼓動など信用出来るはずもないじゃないか
そこにある熱を受け止めて
それを自分で生み出すにはどうすればいいのか考えるのだ
それが芸術でなければ
スケッチブックが満杯になるまで
同じの木の絵でもずっと描き続けていればいいだろう
先の形を信じすぎるやつに訪れる結末は
得てしてそういうものだろう
俺はカーペットを剥いで
畳の上に経文を書きつけた
俺の血流にだけ確かに染み込む経文を
俺にはそれが出来る
俺は成仏を求めているから
死は成仏か
死はそれか?
その前に何かが変わるだろう
俺にはそんな気がする
最後の幕を下ろすときには
なにがしかの結論がたぶん必要だからだ
俺は畳を裏返した
そこには何も書かれなかったことになった




自由詩 不成仏霊、今日も見果てぬ河岸を Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-05-16 16:50:56
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