アウストラロピテクス〜はるかに
ホモ・エレクトス〜さらに
ひととひととを分かつ外的要因によって
踏み出す一歩その一歩の歩幅の違いが決定的だとして
ここまで
歩いてきたのだから
分けへだてる空間を育てるのではなく
人工的な構造物によって埋め合わせてきたのだから
もはや、どこで果てようとそれほどの違いはないのではないか
先に行ったネアンデルタール人は砂に埋もれて
アフリカの平原にとどまったものは
ひとの始祖になって地球上にひろく満ちた
われわれは同一種属なのでR
あらゆる一歩はみることからはじまったはずだ
耳をそばだてることからはじまったはずだ
そだってくる感情を聴いている
風
または風紋
あるいは水の、波紋の
パターン化した日常をなぞる
と、読めてくる
白骨の
蔓の尖端の感覚もよみがえってくる
だれもが帰るのだから
寸前にどんな石を対置させても空しい
秋びんを充填して
春びんを解放して
ぎりぎりの端の箸に立つ水として
充溢感は満たされているだろうか
*
チンパンジーが
沈む夕日をみていた
その目は
その表情は
なぜか母性のように慈愛にみちていたのでR