現代詩カテゴリのジャンル分化に関する考察
しろうるり

いわゆる「現代詩」というカテゴリの中では、現代詩vsポエム、紙媒体vsネット、朗読vs黙読、というような対立が薄い地殻の下に蠢くマグマのように潜んでいて、キラウェア火山のように断続的に地表にマグマが噴出するのが観測できます。
あるいはマグマそのものが観測できない時であっても、「難解な現代詩なんて○○だ」や「ポエムなんて○○だ」という間欠泉の吹き出す音をちらほら耳にすることができます。
現代詩カテゴリ特有のこれらの現象は、ジャンルの分化がきちんと行われていないから生じるものなんですが、ジャンルの分化が行われない原因については「現代詩というカテゴリにおける総人口の少なさ」という事実で説明できるんじゃないかと僕は思うんです。
(※あくまで「説明できる」というだけであって、例えば科学の実験では様々な外的要因によって理論値と実測値に誤差が出るのは至極当然なことですし、この文章は理論以前の「考察」であると、あらかじめ逃げ道を作っておきます(笑))
以下、非常におおざっぱに話を展開しますので、読者諸氏もごくおおざっぱに読んで下さい。

まずスポーツに例えてみましょうか。
ここに人口数百人の小さな町があります。硬式野球をやりたい人が3人います。軟式野球をやりたい人が3人。同様にソフトボールをやりたい人が3人。おおざっぱに言えば3つとも野球様のスポーツです。チームを組むには最低9人必要。どのグループも自分たちだけじゃチームを組めないわけだから、おのずとみんなで集まってみるわけです。んで、どういう形態を採るかといえば、おそらく中間地点の軟式野球が選ばれる可能性が最も高い。硬式野球は球が硬くて初心者には危ないものなので回避。ソフトボールは(日本では)野球よりも普及度が低いために、用具・グラウンド等の利便性から、軟式野球に落ち着くだろう。
硬式&ソフト組は「しようがないなぁ」と納得して一応は折れるわけなんだけど、「俺は硬派だ!」「わたしはソフトがやりたいのに…」って思いが内心ではくすぶっています。
さらに、ここが人口数十人の小さな村だったとしましょうか。硬式・軟式・ソフトをやりたい人が6人しかいません。そこにサッカーをやりたい人が3人。バスケをやりたい人が2人。集まって、んじゃあどうしようかとなると、これはもっと大変なことに…
とりあえず「野ッカースケ部」みたいなものを創立して、みんなごった煮で11人の頭数を揃えることになるわけです。各スポーツの試合の時だけ、とりあえずそのルールに則ってやりますよ、っていう。んで、普段はみんな自分の好きなスポーツの練習ばかり。
いうなれば、これが「現代詩」というカテゴリの現状。
それぞれ、本当は別のルールでやりたいんだけど、スポーツという一点で集まるより他にない。ジャンルの分化が出来ないんですね。

さて、ジャンルの分化が出来ないとどうなるのか。
次は音楽に例えてみます。
ここにヘヴィ・メタルをやっている人たちとダンス・ミュージックをやっている人たちがいます。普段、ほとんど共演することのないはずのこれらの人たちが「どうしても収録に頭数が足りないんで」って言われて、録音スタジオに集められた。ポップスの収録だという。するとどうなるか。メタルの人はダンスの人に向かってこう言う「テクニックが足りねえんだよ!」、同様にダンスはメタルに「踊りたくなるようなグルーヴを出せよ!」。「頭数が足りな」くてあやふやな立ち位置(ポップス)で集まるとたぶんこうなります。
平素ならば、総人口も充分あって自分の立ち位置がしっかりしている双方のジャンルの人たちは、自分たちの目線のみで相手を評価したりはしません。ジャンルの分化がキッチリ進んでいれば、ダンスに向かって「テクニック」、メタルに向かって「グルーヴ」と文句をつけるのはナンセンスなことです。自分の立ち位置に立ったままで、向こうにそんな要求をすることはあり得ません。企画モノでジャンルを超えた交流があるとしても、双方、互いを尊重して相手の良い面を引き出すように配慮できることでしょう。(例を挙げるなら、マイケル・ジャクソンとスティーヴ・ヴァイの共演などがあります)

総人口が少ないためにごった煮スポーツをやっている現代詩カテゴリでは、往々にしてこのような、ダンス・ミュージックに向かってヘヴィ・メタルの視点で「テクニックが足りない!」、逆視点からは「もっとグルーヴを出せ!」という文句が散見されます。立ち位置があやふやだからなんですね。しかしそれはナンセンスな言論です。
例えばここ現代詩フォーラムにおいて考えるならば、ここの会員が今の十倍くらいになれば、これらは自ずと解消されるように僕は思うんです。ジャンルの分化が進み、「現代詩部」「ポエム部」「コンクリート部」「童謡詩部」「歌詞部」等々が設立されて、各々の立ち位置がハッキリクッキリすることで、自分本位の視点のみからの他ジャンルへの批判は無くなるものと思われます。
しかし、どうしたって総人口の足りない現状の「現代詩カテゴリ」においては、我々は自分の立ち位置をひとりひとりが個人で確保しなければならないのだと考えられます。


続く(…たぶん)


散文(批評随筆小説等) 現代詩カテゴリのジャンル分化に関する考察 Copyright しろうるり 2010-05-09 00:13:18
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