死後の世界についての考察
プル式

はじめに

僕は一切の宗教を信じていない。信じていないのは、いろいろな宗教にかかわり合いを持ったから。だから、信じてはいないが、影響はされている。小学校の6年間の夏休みの自由研究を仏像研究に費やす位には。


だから、ふーん、位で読んでほしい。


人間が死んで肉体が朽ち魂になるという
魂は裁定され天国と地獄にいくという
どの地域でもまあ似たり寄ったりな話がある。例えばキリスト教圏、イスラム圏、仏教圏、雑破ではあるが、生前の善し悪しが死後に影響を及ぼす、という。

天国とは何だろうか。幸せは人により異なる。刺激が幸せだったり、ぼんやりとするのが幸せだったりする。仮に天国というのがあるなら、それは刺激的でありぼーっとした世界で、さらにもしかすると永遠にプチプチをつぶす世界かも知れない。が、僕はそんな世界は幸せな世界だとは思えない。幸せというのは人それぞれなんだと思うから、他人の感じる幸せは不幸せかもしれない。

では天国とは幸せと不幸せの両面を持っているのだろうか。上記の理由から考えると、天国が一般的に言われる様な幸せな世界であるというなら、それは個々に用意された世界でなければならない。しかし、個々に用意される世界とはなんだろう。誰が幸せを計るのだろうか。それは間違いなく、個々でなければ嘘になる。では、個々の幸せは何だろうと考えると、それは個々の経験した幸せや夢に描いた幸せというものでは無いだろうか。個々が経験した幸せな時間に夢を足したものが天国なのではないか、と考えた。だからいいことをすれば、その印象が残りそれだけ天国に近くなり、悪いことをしたらば罪悪感にさいなまれ、その意識ばかり目立って地獄になってしまうのではないだろうか。

人間死ぬ間際に走馬灯を見るという。実際に死にかけた際に見たような気も、見なかった様な気もするが、もしそうなら、よく言われる天国地獄とは人生の印象に残った場面なのでは無いか、魂といういわば思念になったが故に、その中の印象の深いシーンを繰り返すのではないだろうか。それが天国と地獄どちらであるかというのは、本人の考え一つなのではないか、ふと、そんなことを思った。

もう一つ、仮にそうなら面白い、と思うのが、人生の中で幸せな時間、という時間に魂は戻り、もう一回味わったりするのじゃないか、なんて考え。もしそうなら、作る必要はなくて一番お手軽な気がする。


散文(批評随筆小説等) 死後の世界についての考察 Copyright プル式 2010-05-08 19:49:11
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