白い言葉
窪ワタル

晴れた空は、あまりに眩しくきれいだ

幼い頃、一番欲しいものはなあに?と問われて
そら とは答えられず
むきかごーぶつ と答えた
(空は大きすぎて僕のおもちゃ箱には入らないとわかっていたから)

むきかごーぶつになりたい
その、透明な産毛のような、拙く、だが尊大な夢が
空を手に入れるのと同じくらい、無謀だと知ったのは
小学校の理科でのこと
「人間は有機化合物です。」
と、先生は事も無げに云った

なぜ無機化合物だったかと云えば
その頃近くに住んでいたヒロコさんが、無機化合物の研究を志して
遠くの大学へ行ってしまったからだった
一度だけ僕宛の年賀状が届いた
ちゃんと返信したのに、次の年からは来なくなって
勇気を出してこちらから差し出したら、しばらくして、宛先不明で戻って来た
僕はそれから、無性に人恋しくなる悪癖を飼うことになった
ヒロコさんが空と同じくらいきれいだったから

 ― 本当に幸せだと思えることを、一つだけ見つけ出して、それをずっと大切にしようと思います。 ―

中学校の図書室にあった卒業文集に、ヒロコさんの残した言葉を見つけた

 ヒロコさん
 幸せだと思えることと、自殺願望が似ていることに
 あなたは気付いていましたか?
 本当に幸せになったら、もう死んでもいいと、僕は思うでしょう
 幸せはたぶん、空と同じです

届く宛ての無い手紙を出すわけにも行かず
文集の余白にそう書いて
ページごと制服のポケットにねじ込んだそれを
体育館裏の焼却炉に投げ入れてしまった
焼却炉の四角い口から吐き出された欠伸声が
耳の底で泣いた


空を手に入れることも、無機化合物なることもできないまま
なんとなく大人になっても、悪癖は貪欲に好意を捕食しながら
胃下垂のようにだらしなく膨らみ続け、やがて
誰かに会いたいときには電話をすることを覚え
話を聴くときには、相手の目を見るといいと知った

会話をするのは、植物が根を伸ばして
結果として、互いに支え合うのと似ている
根の先端の方の繊毛が
言葉だ
白い言葉だ

ヒロコさん
僕はようやく見つけたんだとおもう
空でもなく、あなたでもなく
僕が本当に欲しかったものを

幸せかどうかは、まだ分からない
でも確かに大切にしようとおもう
もう死んでもいい とよぎるのは
空や、あなたと同じくらいきれいだとおもえることが
少しずつ、少しずつ
ふえた証拠だから

携帯のメモリーから
「久しぶり。」
と云いたい友を選び、注意深くノックする
呼び出し音が、心地よく白濁する前の
言葉の種子になって
透明な軽さでもって、空へ、と弾む



自由詩 白い言葉 Copyright 窪ワタル 2004-10-06 19:25:48
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