樹を植えた男
新守山ダダマ

私の本名には樹木の樹という字が入っている
私の父は長く長く生きてほしいという願いを込めて
私の名前に一本の樹を植えたのである
いや本当のところ詳しい理由を訊いたことはないが、たぶんそうだと思う
言うまでもなく樹は、私たち人間よりも太く長く生きる
生きて生きて私たちに多くの恵みをもたらしてくれる
私も名前の通り、樹でありたい
樹にはなれなくても樹にあやかりたい
どんなに生きづらく、希望のない状況でも、私の中には一本の樹が立っている
父が私に植えた一本の樹
これだけは忘れてはならない これだけは枯らしてはならない これだけは切ってはならない

荒れ果てた土地に 木を植えた男がいた
今から100年ほど前 フランスの山奥で
男は一人息子を失い 妻にも先立たれ 一人山奥へ引きこもったのだ
男はそこでひっそりと余生を送るつもりだったのかもしれない だが気づいたのだ
荒れ果てた土地で彼は知った 自分だけの孤独じゃない この土地の孤独を
この死んだような不毛の地に せめて良き伴侶を持たせたい
そして男は木を植え始めた それは自分の心にも木を植えることだったのかもしれない
その土地の周辺に住む人々の心は荒れていた 木がなかったからだ
誰もが孤独で いがみ合いや 自殺が絶えなかった
そんな中で男は黙々と種を植え続けた
自分が生きているかさえわからない遠い将来の緑豊かな夢を見据えて
この土地を襲う強い風も どこ吹く風
第一次世界大戦が起きても どこ吹く風
どんな災難に襲われて 苗が全滅しても どこ吹く風!どこ吹く風!どこ吹く風!

男は何度も絶望の淵に立たされながら
それでも 木を植え続けた
第二次世界大戦のさなかでも 木を植え続けた
世界中で無数の命が失われていく中で
このフランスの山奥では
いつも干上がっていたはずの川はとうとうと流れる水をたたえ
小さな牧場や菜園や花畑が次々に生まれ
人々の生きる喜びがよみがえった
戦争で全てを破壊するのも人間なら、全てをよみがえらせるのも人間だ
この男の一心不乱のひたむきさが 色とりどりの命の花を咲かせたのだ

荒れ果てた土地だから 木を植えたのだろう
荒れ果てた心にこそ 木を植えるべきだろう ただ植え続ければいい
希望は与えられるものじゃない 希望は育てるものだ
継続は力なりと言うが その力はハンパなものじゃない
継続をなめるな 継続は木なり 木はまさに一つの継続だ
どんな状況にも左右されず、長い年月をかけて成長し、大きな喜びをもたらす

私は父が植えた樹を忘れない
そして遥か遠くの木を植えた男のことも忘れない
木があるから 私たちは生きていける
私は今こそ 木を植えたい



※ジャン・ジオノ著『木を植えた男』をテーマにした自作詩です。


自由詩 樹を植えた男 Copyright 新守山ダダマ 2010-04-28 19:52:41
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