彼らの時代
済谷川蛍
「お兄ちゃんなに書いてんの?」
「小説」
凛が俺の肩に体重をかけてパソコンを覗き込む。凛は小学6年生の高野山生まれの少年だ。
「これ、どういう意味?」
青春を肌に感じ、呼吸する。内向的な蕾も開花する人生の一瞬間。何も顧みない。何も悲しまない。何も心配しない。
という部分を指先でなぞる。
俺だって適当に書いてるんだ。説明の言葉が見つからない。大体説明する必要もない駄文だろ。俺はタバコの煙をすべて吹き出してから言った。
「ゴミ」
凛少年は笑った。
凛という少年は大学の総合科目C〔子ども交流〕で出逢った子だ。俺はこの科目をとっていなかったが、帰り際に元インターネットカフェだった建物をのぞいたら、先生から誘われたのだ。中では学生が勉強を教えたりしていた。俺はただ見学していた。とんでもなく居心地が悪かった。先生がフォローするまでもなく、1人の少年が近寄ってきた。こういう優しい少年は実際いるものだ。いつか書こうと思うが、ウィーン少年合唱団を見に行った時にも、空港で1人だけ同じような行動をとった団員がいた。凛少年は作文の宿題の続きを俺の部屋でやった。何か、合うものがあったのだろう。よく遊びにくるようになった。
洗面所で歯と顔を洗っていると、凛少年がトイレで嘔吐した。どうしたんと聞いても青い顔をして黙ったままでゲロの臭いを漂わせている。俺のタバコを吸ったのだった。ハイライトのラムメンソールを。そりゃ吐くわ。タール10mgの殺人兵器だ。復調するまで時間がいった。
「タバコって美味しいの?」
「いや、ぜんぜん美味しくない。単なる癖で吸うんだ」
「不味いし身体に悪いのになんで吸うの?」
「カッコつけたいから吸うんだよ」
「禁煙しないの?」
「好きな人が出来るまでしない」
「好きな人いないの?」
「いない」
凛少年は遊戯王カードにハマっていた。俺は遊戯王がパクったマジック・ザ・ギャザリングのほうは高校時代かなりハマっていたことがある。遊戯王カードの相手をさせられた。凛少年は「スターダスト・ドラゴン」というのを召喚して喜んでいた。2枚あるから1枚あげるといって俺にくれた。うちの大学でパソコンを教えている米村先生が無類のドラゴンフェチなのであげようかと思ったけど、このカードは友情の証だからあげられない。俺からは凛少年にアン・ドゥムルメステールのブローチをあげた。
「なにこれ、いらない」
「じゃぁほかに何か欲しいものある?」
凛少年は部屋を見渡した。子供が欲しがるようなものなんて俺の部屋にはない。
「これ」と凛少年はマスターピースのゴアテックスジャケットを持ってきた。俺がいつもジャージの上に羽織り大学に着ていくやつだ。凛が着てみるとブカブカだった。
「ダメじゃん」
「でも超カッコイイ」
「じゃあげるよ」
「マジ!? やったー!」
しかし翌日凛少年がジャケットを返してきた。親から言われたそうだ。親からしたらいい迷惑だったのだろう。愛用のジャケットは返ったが、申し訳ないような、残念な気持ちになった。
大学の帰り、小学生の女の子が2人、同じ学校の男子のことを話していた。まるで2歳くらい年下の子供のことを話すみたいに。確かに彼女たちはスタイルもよく、マセていた。貫禄のようなものも感じられた。きっと彼女からしてみれば、学校の先生も自分たちの本当の顔を知らない間抜け野郎なんだろう。ふいに長身の子が振り向き、俺の顔をみた。すぐに顔を戻したが、その一瞬に俺は彼女の恐怖を感じ取った。彼女たちは、自分を知られることを恐れている。ほとんど意識することはないだろうが、罪悪感さえ抱いている。 帰りに「子供見守り隊」と書かれたシールがやたらと目につき気まずくなった。
ある日、凛少年が銀縁メガネをかけてきた。少し照れているようだった。
「どうしたの」と聞いてやると「昨日買った」と言う。凛少年が机に置かれた俺のメガネを見て「これいくら?」と聞いた。レンズに少しブラックの色が入ったほうはスタルクアイズで、透明なレンズの銀縁のほうはフォーナインズだった。
「高い」
「どれくらい?」
「5万くらい」
「たかっ!」
凛少年はメガネをかけ比べて遊んだ。
「お兄ちゃん目悪いの?」
「うん」
「どれくらい?」
「視力検査の上から3番目が見えない」
「ヤバイじゃん!」
「うん」
凛少年はまた銀縁メガネをかけた。少し大人っぽくみえた。彼らが今生きている時代を知らない俺は、今の自分よりも幸福な時代であるように錯覚してしまうが、それは敗残者の夢や妄想であり、はたして彼らが本当に幸福な世代であるかは、彼らが子供の特権をすべて使い果たしたあとに、幾分か汚れてしまった瞳で見ることになるものだ。