ぽえりんこ大会へ向け一歩半
藪木二郎

「ぽえりんこ大会」、もっと盛り上げていきましょうよ!

 今から下に書く感想は、本来ならコメント欄にでも書いておくべきことなのでしょうが、「『じゃああなたが批評ないし批判をすればいいじゃないか』と言いたいのである」(「「ぽえりんこ大会」開催の告知」2010年03月28日)という仲仲治さんの言葉に賛成していますし、それに加え、そのコメントしたい方に相手にされていないというような状況がありますので、その方のコメント欄へ押しかけて行くのは止しにして、独立した文書として、投稿させて下さい。

 という訳で、ここからは、直接誰かの文章を引用するようなことはしないつもりですが、それでも一応、変則的な形でではありますが、「ぽえりんこ大会」参加を、表明させて下さい。
 また、引用もしていないのに誰かある人物に対して何かを言っている、という形になりますが、その点も、御容赦下さい。


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 もう十年以上前になるのかもしれませんが、私の中では今から少し前、「否定神学」、という言葉をつけて何かを語ることが流行りました。

「まぁはっきりとは言えないんだけどさ、『何々ではない』、という形でしか語ることができない何かがある訳であってさ」

「その何かをはっきり『何々だ』と語ってしまっては、それはその何かを、我有化してしまう結果になる訳であってさ」

 そして、「まぁつまり、『否定神学的に』、としか定義できないような何か、ってことなんだけどさ」、などと来る訳です。

 私自身は一方的に鴨にされていて、何か気の利いたつもりらしい言い回しが流行るたびに、毎回遭わされて来たのと同じような目に、遭わされていました。


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 ところで私は、以下のような二通りのパターンによって、この「否定神学」という言葉の鴨にされていたように思います。

 ?
 お前は安易に、定義できない何かについて語ってしまっている。
 それでは、お前自身はその何かついて語っているつもりだったとしても、ただのモノローグに過ぎない。
 そういうものを語るに当たっては、お前には躊躇いがなさ過ぎる。

 ?
 お前は定義できない何かがあるということに関して、全く無感覚になってしまっている。
 お前に感じられないものは初めからありはしなかったのだと安易に考え、お前は自分自身の狭い世界に、安住してしまっている。
 お前のその態度は、定義はできないけど確かにある何かに対して、臆病であり、卑怯である。


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 これらを同時に、それも同じようなひと達から、言われ続けていた訳です。ひどい話でしょう。

 確かに矛盾だとは言い切れませんね?
「その『何か』についての勇気を持て! だがそれについて語る時には躊躇いを持って、更に、自分自身を『開く』ようにして、語れ!」
 ってことなのでしょうから……。
 とはいえ「そう言っているあなた達は?」、などと考えてしまうと、やはり……。


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 現在、もう少ししっかりとしたものを執筆中なのですが、引用するつもりだった本がもう図書館から消えてしまっていまして……。
 それでは、失礼します。


散文(批評随筆小説等) ぽえりんこ大会へ向け一歩半 Copyright 藪木二郎 2010-04-19 17:14:59
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