僕の涙。
敬語


悲しくて、哀しくて。
ふいに零れた涙には、その悲しみと哀しみが含まれていた。

だが、それに気付いたときには、既に時は遅く。
慌てて捕まえようと手を伸ばすも、僕の涙は排水溝に流れ落ちてしまった。

嗚呼、憐れな僕の悲しみと哀しみ。
感情を表現出来る僕と離れ離れになってしまうなんて。

今頃はもう、下水道の中を流れているのだろうか。


そのことがまた悲しくて、哀しくて。
だけども、僕の悲しみと哀しみは只今不在中であるため、僕に涙は流せない。

仕方なく僕は、僕の涙の代わりに目薬を流す。
下手な役者みたいに、とりあえず体裁だけでもと。

嗚呼、憐れな僕の悲しみと哀しみ。
ただの薬水を涙の代わりに使われるなんて。

今頃はもう、下水処理場で綺麗にされているのだろうか。


しかし、翌々考えてみれば、僕は僕の悲しみと哀しみを失ったことを悲しんでいるし、哀しんでもいる。
これはつまり僕は僕の悲しみと哀しみを失ったいないのでは。

そう考えると、嬉しくて、嬉しくて。
僕は嬉し泣きをしたくなった。だが、嬉し涙は流れないし、零れない。

嗚呼、憐れなるは僕の涙。
悲しくて、哀しくて、零れた涙は僕の涙の核であったのだ。それを僕は失ってしまった。

今頃はもう、川を流れて小石のように角が丸くなっているのだろうか。


二度と涙を流れないと知った僕はそれがまた悲しくて、哀しくて。
どうにかして、再び涙を流すことが出来ないものかと考えた。

すると、名案が。ただ待てばよいのだ。
僕の涙の核が、排水溝から下水道へ、下水道から下水処理場へ、下水処理場から川へ、川から海へ、海から蒸発して空へ、空から雨として地上へ、地上から川へ、川から浄水場へ、浄水場から僕の家の水道管へ、水道管から蛇口へ、そして蛇口から再び僕の身体へ戻ることを。

そう思うと、希望が持てた。
悲しみと哀しみが消えた。

嗚呼、本当に憐れなるは僕の悲観さ。
ただ目の前の出来事のみを考えて悲観的になってしまう、その心。

今頃はもう、海にたどり着いたのだろうか。


さぁ、僕はただ待つのみだ。
それが、どれだけの時間がかかることだろうと。
それが、どれくらいの確率で起こることだろうと。

僕は、僕が再び涙を流せる日を、ただ待つ。

嗚呼、本当の本当に憐れなるはこの僕。
夢を抱いて、今日も蛇口から流れ出る水を飲み続ける。

今頃はもう、空の上にいるのだろうか。それとも、もう雨として地上に舞い戻っているのだろうか。


僕の涙は今、どこに。




自由詩 僕の涙。 Copyright 敬語 2010-04-19 03:39:19
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