地軸
salco

朝まだきと言うのか、夜が明けたかどうかという頃
かすかな鐘の音がいつも遠くから聞こえて来る。
住職が鐘撞くような高徳の寺はこの辺りにはないから
多分、世田谷通りの向こうからだと思うが、
しかしそれよりも、深い森を抱く田園風景もない町なかで
山端に沈む夕陽もなく青い翳にだんまり浮かぶ道祖神もなく
一番星に行き暮れる旅人のいる筈もないこんな住宅街に
鐘の音を耳にするのは陳腐な気がするのだ。
川を流れる深情けの果ても裏山で首吊る借財親父もない、
負われて売られ行く娘も納屋で自涜に耽る少年も、
床下に繋がれた気違い女も鳥打帽の犬殺しもいない、
平成の東京都には、寺などひとつも要りはしないのだ。
谷合の逼塞など、この都市の一体どこにあるだろう。
山手線に乗りさえすればとり澄ましていられるこの都市に、
自意識だけで成り立つ雑踏のざわめきの中に血の池、針山、餓鬼道を
経巡る卑賤の民が、この潤沢で清潔な国の一体どこにいると言うのだ?
第一、路上に転がるホームレスに本堂を開放し、セキシとやらの
末裔を本殿の片隅で養ってやる寺社がひとつでもあるか?
天○教や○価学会だって、子飼いの阿呆に墓地を分譲するぐらいのもの
だ。
極彩色の曼陀羅の伽羅香と自販機の取説とで溢れるこの国に
JRの切符1枚で姿をくらまし1億1千万の人数に紛れられるこの国で
救いを求めて訪ね歩く必要などもうありはしない。

コンドームの中で誕生会を開きウォシュレットのノズルでシャンパン飲む、
将棋盤や碁盤の格子で画されMRIやバイアグラで自己管理もする我々の、
たとえ醒めた女を男が刺し殺し、リストラ親父がプラットフォームに翻り、
相も変わらず売り売り娘が鬼灯刺して醜い肉団子を始末し、
動く春画に首絞めのような随喜の宿痾を13歳が見出そうと
松沢病院の保護室に準ミス湘南の14年後が糞尿まみれで転げ回ろうと
津津浦浦の動物愛護センターで何千頭の犬が飼い主の面影を叫ぼうと
それは阿弥陀仏に浄罪を求め閻魔大王の裁きに怯える暗愚の徒ではとうに
ない。
何故なら粛々と斎場のファサードを葬式坊主に先導される以前に
誰もがみな、今まで払って来た税金や年金と同じように罪業の拭い方、
償い方や自分の行き先(行く末、なれの果てではなく)を知っているのだ。驚くまいか、誰もがみな。
この教育水準は実に世界に誇ってよい、人類史に誇ってよいのだ。
我々の死は死亡診断書が認可し骨壺は埋葬許可書が裁可する、
ただそれだけのことだ。
極楽も地獄もありはしない、生まれて心の煉獄を生き、死ぬだけだ。
その外側は国民の三大義務と、取って付けたような権利のゴタクだけ。
またそれでいい、それが一番いいのだ。
絵空事の絶対者などに与するのでなく、けれど自己相対化の裡に協奏を見、
虫けら同然小さく孤独に生きながら、昂然と大空に対峙し今日を呼吸する。
だから笑え、意味のない鐘の音なんか聞くヒマがあったら笑い飛ばせ。
失業なんかクソくらえ、人生ロッケンロールの独壇場じゃないの、
安んじて笑い飛ばせ、何故なら生きて死ぬのはお前だお前だお前自身だ。       
                      
                      
                      2009/12/09


散文(批評随筆小説等) 地軸 Copyright salco 2010-04-19 00:07:44
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