判っているんだけどどうしようもないってもんだよ
ホロウ・シカエルボク
雨の向こうに跳んだ蛙は言い残したことがあるみたいに俺を振り返った
機械のような冷たさをもった四月半ばは昏倒した老人が見る氷の夢のようで
増水して喚く小川の流れは叶わぬ夢に執着し続ける綺麗だけどそれだけの女のようだった
古臭いモザイク模様みたいなセメント舗装の小路の小言みたいな凹凸に合わせて
退屈凌ぎの爪先のダンスみたいな拍子で降り続ける雨は道の両端へ向かって流れて行った
路地裏はきっと好天の日以外は人間を拒む癖を持っているのだ
メランコリーに巧みに絡みついてくる雰囲気がなによりのその証拠だ
いつだかに工場のパートに出向いたときに買った短い安全靴は
半年余りで工場を辞めてからずっと普段の靴に使っている
どういった理屈かはよく判らないがあまり雨が染み込んでこないので
こういった天気のときには結構ありがたい思いをする
傘をさすことが子供のころからあまり好きではない
ずぶ濡れになることがないのなら濡れていることはそんなに悪いことじゃない
たまにすれ違う忙しい連中からは異常者のような目で見られるが
もともとの性格的な断絶には空の具合はそもそもあまり関係がないから
たとえば自転車が水溜りを跳ねる音程度に気にしただけでこちらとしては終わりになる
だいたいアイデンティティなんてもの個人の中だけで完結することが望ましいのであって
それすら履き違えている連中なんぞにわざわざ絡むことはないのだ
そんな風に思っていたらいつの間にか路地裏を歩いていることが多くなった
冬や春や夏がこのところずっと機を逃しては譲り合ってうろうろしているような気がする
もうすぐ昨年の平均気温なんてものはまるで当てにならなくなるだろう
近頃流行っているらしい漫画のキャラクタアが甲のところに描かれた小さな靴が
垣根の下のところでずっと雨垂れに濡れて黒くなってひしゃげていた
その家に子供がいたかどうかは思い出せなかった
そもそもその家に誰かが住んでいたのかどうかも思い出せなかった
家は人と滅びるべきなのだと最近考えることがある
その家に住む者の代表的な誰かと運命を共にするべきなのだと
誰も居ない家屋はずっとさみしいうたを歌い続けているうらぶれた歌手のようで
そんな有様が時々無性にたまらなくやりきれないものに見えてしまうのだ
あまり面白くもない話には違いないが俺は彼らのそうした佇まいを目にするたびに
どこか自分の姿を見るような心持で馬鹿みたいに立ち止まってしまうのだろう
機械のような冷たさの四月半ばのある日に降り続く雨は一向に調子を変えることはなく
言葉のない祈りのように路地裏はしとしとと濡れ続けていた
路地のお終いは名ばかりの国道に繋がってだけどそこには申し訳程度の
どこかからどことなくくたびれて帰ってくる車の流れがあるばかり
路地裏のお終いに立つときにいつも何かがこっそりとスタイルを変える気がする
そんな気分に思わず振り返ってしまうときとどうしても振り返れないときがある
その日は確かにどうしても振り返りたくない気分だったが
このところ俺の感情は季節のように機を逃してうろうろしていたので
そんな気分に寄り添うことをほんの数秒間忘れてしまっていた
振り返ると一番始めに雨の向こうに跳んだ蛙がいつの間にか俺の背後に居て
生きているってことはおおむねしかたがないってことだって目をしてこちらを見ていた
「判っているんだけどどうしようもないってもんだよ」
俺はやつの目を見ながらはっきりと言葉にしてやつのそんな目線に答えた
判っているんだけどどうしようもないってもんだよって言葉は雨と同じように
小言みたいな路面の凹凸にほどかれて道の両端に向かって流れて行った
蛙は俺の言葉にはなんの興味もないように見えたが
それを確かに聞いていたということは目玉の動きでなんとなく理解出来た
なにも蛙と話をすることはないのだと俺は結論して背を向けて国道に出ようとした
「不便だよなおまえは」と背中に声がかけられた
俺は少しだけ振り返って笑って見せた
雨は一向に調子を変えぬまま夜まで降り続くのだろう