『ばっかじゃねーのー』はネイノーさんの口癖。
プル式

耳を傾けるひとがいる/石川敬大さん
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=207146

【耳を傾けるひとがいる】石川敬大 にポイントを入れた方々への公開質問状/AtoZさん
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=207394

ぽえりんこ 5/仲 仲治さん
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=207484


 僕としては、もっとAtoZさんに憤怒してもらいたかったな、なんて思っている。
でね、出来ればTOP10くらいにAtoZさんの散文が入って欲しかったんです。なぜって、考えて面白い題材だから。で、冷たい言い方をすれば、人身御供になって欲しかった。という事をここに記す。

もう無理だけどね。

さて、まず「耳を傾けるひとがいる」について。
の、前に、なぜポイントを入れたのか、について。

 僕は読んだものには基本的にポイントを入れる主義である。それはその詩を書き上げる、という行為に対して、読ませてもらった事へのお礼としてである。その中に特筆すべき箇所があればコメントを入れるが、コメントしないまでも「いいな」というものもある。言わば閲覧料のようなものであると思っている。
そうする様になった理由は「この詩、UPしたのに読まれてんのかな」というのが自身であったから。
で、今回のポイントに関してだけど、これは後者。特筆するほどは抜きん出ていない、と思う。でも敬大さんの詩は基本的に好きな事は事実。

では何故AtoZさんに「ばっかじゃねーのー」とコメントを入れたのか。(ちなみにこれもポイント付き)
1.名前をわざわざ出されたから。
2.質問状と言う割に、思考を押し過ぎてて質問というより僕には高圧的に『問いつめ』られている感じがした。
3.せっかくだから言い返す事がばからしい(相手にしたくないなぁという)茶々を入れようと思ったから。

ざっくりとこんな感じ。その他細かい事はきりがないので省く。
僕は、AtoZさんの散文が本当にtopに入っても良かったんじゃないか、と思っている。内容は好きではないが、見て損はないよ、という意味で。そういうのが『Top10』みたいな感じであったらきっと推していたと思う。

ではせっかくなのでAtoZさんの散文を

以下引用>
黙っておこうかと思いましたが、どう考えても、
五連目の独立した後段の一行は一社会生活者として看過できない表現です。

   酔っ払いや、セクハラおやじ
   ホームレスが投げやりな視線をむけてくるだけ

これは夜遊びをしている若い女の子に年配の男が関心を示し、その関心の由来を正当なものにするため
倫理的な姿勢を持ち出して、老婆心として心のなかで相手を諭しているというモノローグにでてくる一節ですが、
これを読んであなたがたは何一つ不快や疑問やいきどおりを覚えないのでしょうか?
だとすれば詩を書くものが、選択することばに付随してくる自分たちの実社会についての感覚がほとんど麻痺しているとしか思えない。
それでよくもまあ詩を書いてますといえるものだ。

「ホームレス」というのは、そういう「人種」がいるわけではないのですよ?
失業、倒産、解雇、破産などの理由によって家族や住居を失くした人の一時的な「生活状態」を示しているだけです。
そういう人たちを一括して「酔っ払い」や「セクハラおやじ」と並列にしてしまう足の裏の皮膚のような鈍磨な感性にわたしはあきれる。
ましてやそのような表現に疑問をはさまず、コメントもせず、黙ってポイントをいれるあなたがたの神経を疑う。

<引用ここまで

AtoZさんは、わざわざ『五連目の独立した後段の一行』という指定で語り始めている。つまり『 ホームレスが投げやりな視線をむけてくるだけ』という一行の事だ。そこから考えると、その次の段『これは夜遊びを〜いえるものだ。』が指す問題は『酔っ払いや、セクハラおやじ』を指すものではない。その次の段に出てくる様に『ホームレス』に対しての言葉なわけだ。うん。で『ホームレスとは人種ではなく『様々な事情』による生活の状態』だから『酔っ払いやセクハラおやじ』と同じでは無いと。

この文章を作者の意図と違えて読む場合『酔っぱらいやセクハラおやじ』は大いに憤慨していいと思うぞ。それこそ、様々な理由があるだろうし。僕の知る限り(まぁ狭い井戸の中だろうけど)では『苦難に満ちあふれた理由』でホームレスになった人ばかりではない。僕は大阪天王寺界隈で育ったのだが、そこはホームレス天国と呼ばれるほどに行政とホームレスの戦いが日々行われていた所で、未だに「ここは日本か!?」と思うほどの場所もあったりする。物価もおかしいし。そういう所に居ると、子供の頃から関わるんですね、そういう人に。(ちなみに某コメントで書いた『酒を飲んだ人たち』は、僕が東京に出てきて2週間ばかり段ボールのお世話になった時と、その後酔っぱらって公園を散歩している時に仲良くなったホームレスのおじさんたちです。)確かにAtoZさんの言う様な『様々な理由』でホームレスになった人はいる。でも、そうじゃない人、つまり『自らホームレスを選んだ人』というのも居る事を言わなきゃフェアじゃないんじゃないかと思う。んで『酔っ払いやセクハラおやじ』も『自ら酔っぱらいやセクハラおやじになった』人とそうで無い人が居る事を言わなければならない。それをせずに、一方的に

『ホームレスはつらい理由がある。そんな理由がない酔っぱらいやセクハラおやじは悪だ』

まぁ、悪だってのは言い過ぎでしょうが、こういう考えもまた、差別であると思うわけです。

引用>
あなたがはホームレスが「セクハラおやじ」や「酔っ払い」と並列して語られることに不審を覚えないのでしょうか?
また、非常に通俗的な差別による、そのような感性にもとづく作品をほんとうに評価されているのでしょうか?
<引用ここまで

ホームレスが敬大さんの詩の中で「セクハラおやじ」や「酔っ払い」と並列して語られているのは、そういう差別的な意見と関係のない所だと思うのです。例えば『ペンキ屋』『どかた』などは差別用語にあたるそうですが、それが詩に書かれていた時、AtoZさんは同じ様に警鐘をならすでしょうか。「そういう事じゃないでしょ」という突っ込みが来そうですが『そういう事』だと僕は思います。ここで言いたいのは『夜の街にいる女の子(その希望)と対岸に居る存在』だと思うからです。

引用「耳を傾けるひとがいる」より>

そこできみたち、なにしてるの
 どんな嘘ついて、ここまできたの

 帰らない
 と、帰れない
 似ていても雲泥の差で

 親の気持ちなんて考えたこともないよね
 音楽って熱狂できるし楽しいものだけれど
 行列つくって、その他大勢になって
 一体感の錯覚で、幸せになって
 でも知っているよね
 ほんとのこと

 鳥のように騒がしくて
 色とりどりの個性を競って
 電車やバスを待つようにして待っているもの
 誰かを待つようにただそこに佇んで
 でも
 期待することなんか起こりはしないし
 幸せを齎してくれる白馬の王子様なんてやってこないこと


 酔っ払いや、セクハラおやじ
 ホームレスが投げやりな視線をむけてくるだけ

<引用ここまで

一連目を読んで判る様に、語り手は女の子がそこに居る事に対する否定。
二連目を読んで判るのは、一連目で否定した『嘘』は『帰らない為の嘘』であるという事。自発的な『帰らない』
三連目は、帰りを待つ親とかそういうものと、嘘をついてまで期待する様なものについての問いかけ
四連目で、三連目への回答、そこに居ても期待するものなんてない、という事
ここまではまぁ、ただの分解。

で、問題の五連目は、四連目の『 幸せを齎してくれる白馬の王子様なんてやってこない』代わりに
『 酔っ払いや、セクハラおやじや、ホームレス』が投げやりな視線をむけてくるという事。間違いなく、理想の『白馬の王子様』からこのお三方は対岸でしょう。ま、そういうのが理想だと言う人も、中には、居るかも、知れませんが、ね。そういう意味で、この詩の中でヒロイン以外の登場人物はただの『モチーフ』なのです。そういう『モチーフ』に個々の理由は必要ないのです。だから、お三方は同等の扱いを受けている。

例えば

リストラされて酔っぱらうしかなかった人
鬱病になりセクハラとしてしか解消が出来ない人
破産してホームレスになるしかなかった人

というそれぞれ(まあ、ぱっと書きなんで旨い表現ではないですが)の理由をつけて書いてみましょうか。どうでしょう。確かに「ホームレス」は『生活状態』なのかも知れませんが、同じ様に現在の状況である訳です。ですが、それこそこの詩の本質から外れてしまい、体裁をなさなくなってしまいます。『詳しくは別』で良いんじゃないでしょうか。ちなみに、ですが、二連目の『帰れない』先にいるのがこの『お三方』だと思っています。

さて。この解釈で行くと、問題とされている『ホームレス』ですがただの呼び方の問題でしかなくなっちゃいますが、そこはどうやら問題視されていないらしいので放置していいのかな。良いんじゃないかな。そうですか。

話題転換。

仲仲治さんの『ぽえりんこ5』で突っ込みを受けたので書かなきゃなぁーって感じだったのですが、僕は先のお二人のやり取りのなかで『わざわざ』感情的にコメントを残している。他に乗っかってくれる人がいたら楽しかったという事と、もう一つ、誰かが『つまらない』感情で語っていると周りが冷めやすいから、というのもある。怒ってる時に怒った人を見ると『やめよう』という人と『ほらみろ』と乗っかる人とが居る。僕のつまらないコメントがそこまでの勢いが無く中途半端なのは、僕がそこまでなりきれないからで、それは申し訳ないなぁ、なんて思ってるわけです。どっちにしてもさ、もうすっかり沈静化したのでいんじゃねって思いますけどね。

さて、仲仲治さんの散文に
引用>

「投げやりな視線をむけてくるだけ」という言葉の方に、問題があるのではないか、と感じるのです。「むけてくるだけ」。「だけ」。だけ?

<引用ここまで
という事がかかれていて大変に面白かった。確かに、女性に向ける男性の目で『セクハラおやじ』なら『熱い視線』だと思う(笑)でも、この『だけ』は女性にとっての『だけ』であり『迷惑』や『不快感』を与えるもの、白馬の王子様意外のものという事ではないでしょうか。仲仲治さんのいう『タイガーウッズさんみたいな男子高校生』がいたらもしかしたら王子様になれるかも知れませんが。

引用>

 Aさんの公開質問状の散文で明らかになってきたのは、石川さんのこの詩にポイントを入れた人たちの中には、最後の六行の言葉がよかったから、という理由で、ポイントを入れていることです。

この街のどこか
誰かひとりでもいないかなぁ
耳を傾けるひと
ずっと
きみのことを
忘れないでいるひと
(「耳を傾けている人がいる」石川敬大さんの詩より引用)

 この六行が、よかったらしいです。僕は、そういう人たちに、さらに聞きたいのですが、もし「耳を傾けている人がいる」が、この六行だけしかない詩だった場合、評価は変わったのでしょうか。
 そうではなく、いろいろとあって、最後にこの六行があったから、よかったのでしょうか。プル式くんには、特にそこまで聞いてみたい。

<引用ここまで

現代詩フォーラムという場において言うなら、変わったでしょうね。多分。僕がフォーラムを見て思うのは、ここの人は大体流れのあるものが好きだと言う事です。いや、そもそも構成として起承転結(詩について別の言い方があった気がする)がやはり好まれるのではないかと思うからです。この最終連のみだと、語り手がどういった状況を語っているのか、という事が見えません。
仲仲治さんだけでなく、所々で前半の説教についてツッコミがされていますが、やはり必要なのだと思います。いろいろあっての最終連だと。ただ、僕から見れば前半部が少し『もったり』している感じで、僕の好みで言うなら、全体で4連くらいにサクッとまとめた方が好きです。もしくは、逆にすべてを埋める様に長いとか。

今回のこの騒動で思ったのだけれど、昔書いたポイント操作ってやれないかなーと。
TOPに「この詩は判る。けどつまらない」って言う作品をのせて、どれくらいポイントがのびるんだろう。有名な人に協力してもらったりして「あーこの人もポイント入れてるんだ」みたいな状況を作った場合。

あと、ポイント順リストじゃなくて『一週間にポイントあげた順リスト』っての。「あー、こいつ撒いてんなー」みたいな。

一週間のTOP10になってから、撒いた人がTOPに入りやすくなったと思う。やっぱりお友達ポイントがあるし、制限がかかるから。敷居が低くなった分、浅くなった感じ。昔みたいにじわじわ伸びて出てくる作品というか、長い選別を超えられるような作品が目につきにくくなったと思う。


興味、ありません?


散文(批評随筆小説等) 『ばっかじゃねーのー』はネイノーさんの口癖。 Copyright プル式 2010-04-08 15:37:45
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