2010.3.29.月
榊 慧

 
 帰省前日、正確には当日だったかもしれない、とにかくそんな時間帯に俺は風邪薬(パブロン)を摂取してそれで寮にいた先生方、寮監に怒られていた。3錠からは覚えていませんすいません二度としませんごめんなさい、意識はしっかりしていて、でも、俺は俺のことを他人事のように捉えていた。今怒られてるのは誰、俺か?みたいな。それまで俺は転校後から特に問題も起こさず規律も意識するしないに関わらずしっかり守って、勉強も(成果はともかく)真面目に取り組んでいる、問題のない生徒、だった。それがなくなったような気がした。気がした、ではなく実際そうだろう。それより前に、終業式で一人パイプ椅子の上で痙攣を起こして構われたことがあったけど。あと、授業中にも起こして早退したか。なんで痙攣が起こるのか。知りませんわかりません、ごめんなさいすいません先生。
 嘘、思い当たる節は両手で足りない程度にはあるよ。けど言うのもなんかなあと思って。誰も聞きたくないこと言うのもなあって。


 俺の好きな人、好き、というのには色々あるだろうけどとにかく"好き"な人、以外の話す声は耳に入ると俺はその場で固まって俯いて、目を白黒させているかもしれない、とにかく苦手だ。けれど会話は生活を営む上でしていかなければならない、「繊細です内気ですちょっと違うの、丁寧に扱って下さい」とこれ見よがしにしている奴はただひたすらに鬱陶しいだけである。
 勉強やらの苦労は本当に「苦労」と言えるものかもしれない、というものをして、これからもしばらくするだろうけどでも、人との関係、対人を考えてどうこう、というものに比べればずっといい。一人でできるから。根暗かもしれない。
 あなたたち、君たちが嫌いだ、近寄るな、顔を見せるな、と言うと関係は破綻する。だから言わない。破綻しないのなら言うかもしれないってことだよ、とかね。破綻って何、というのは流すとして、だれも俺に話しかけるな、というのから始まり何もしたくないを経由して死んでしまいたい俺よ私よいなくなれ、で沈む。俺って救いようがないというような基本的なことがぐるぐるしていて、循環線みたいだ。循環線、はあ、どうでもいい。

 早く二十歳になりたい、と言うとクラスメイトが俺も早く大学生になりたい、受験生はいやだけど、と言った。俺が「25歳から飛ばして35歳くらいになりたい」というと訳が判らないといったような顔をしてクラスメイトは、俺は大学生がいい(と言った)。俺はクラスメイトらから変人と思われていることを知っていたけどこの発言を放置した。変人でいいよもう。
 電波、電波、すごい電波って俺はβ線かγ線あたりか。ラジウムか。ものすごくどうでもいい。どうでも良すぎて殴りたい。いや、どうでもいいな。



 俺が過ごす、生活していく上で俺の家は、心地よいもの、は全体の2パーセントくらいあるかもしれないけど、残りはあって欲しくないものばかりだと感じる。学校でも。あって欲しくなかったもの、いらないっていうのと同義かもしれない。でも俺の生活にいらないもの、というのと俺の生活にあって欲しくないもの、というのは違うように捉えられる。例えば、テレビの音、そして話し声。駄目なんだ、駄目なんだ。だから夜が好きなんだと思ったり。一人、一人、で、干渉されない。そういうものが欲しい。お洒落な物、お洒落に見せる物もいらない。目障りだと感じる俺はおかしいかもしれないね。ああ、眠い。今俺は眠い。寝ようか、はは、明るいね。ね。


 7時間図書館。て、前にクラスメイトが言っていた4時間カラオケみたいだ。昨日借りた本の全てが欲しい。買いたい。寮に戻れば図書室も図書館もないし、外出できないから読みたい本は今のうちに買うか予約するかしかない。誰か、どなたか親切な人で本譲ってあげる送料も負担しちゃうとかそういう奇人、いや貴人?は、連絡ください。私信で結構です。なんつって宣伝してみる。多分そんな人はいないだろうと思いつつ「そんな人はいないだろう」と書くあたりがわざとらしい。だってわざとやっているもの。あ、漫画と雑誌(文芸誌やら美術関係は多分可。研究短歌、とか。歴史街道もありだろう。)は不可です。
 …あしながおじさんでも探しているのか俺は。笑える。笑えてくる。…まさしく変人だ。


 悲しい。焦る。焦げる。…死にたい死にたいって日常で言っている奴は鬱陶しがられるから言わない。俺は人の迷惑になることが途轍もなく嫌い。といいつつ迷惑をかけたりして、そのたびに死のうか、いつ死のうかと例の(?)循環線のごとく。いつ死のうか、と考えていますみたいな顔はしないけれど。当たり前だ。エチケット?かな。



 面倒くさい。家が面倒だ。どうしようもない。家が面倒、学校も面倒だ。耳栓が手放せない。けど、この耳栓話し声やらが妙にはっきり聞こえたりしてあまり意味がない。耳栓探しの旅にでも出ようかな。だったらこんな散文書いてる場合じゃないね。寝るときは耳栓、着けないんだけど、起きてるときは着けないと無理。イヤホンからの音楽ではだめなときもある。クラシックさえ駄目だと思ってしまったときは思わず机に伏せた。その後耳栓をして広辞苑をぺらぺらしているところをクラスメイト且つ寮で同じ2階2号の人に見られ引かれた。「広辞苑持ってきてるって、流石。」流石?その人には俺が机のものを直角平行に置こうとすることでも引かれた。「君の机の上はカーニバルだね。」と、帰省前、その人が片付けているときに俺は言った。


 学校、寮、いや食うところは学校にある食堂なんだけどとにかく三食出される。好き嫌いで言えば俺はグリンピースが食べられないのだけど、そういう問題でない好き嫌いで言えば俺はあの食事が嫌いだ。フライと肉が多すぎる。炭水化物と動物性たんぱく質、そして油が多すぎると感じながら出されたものを食す。学校の人は野菜を残す人がとても多い、俺はキャベツのみじん切りなどがセルフサービスのときは一人山盛りよそってむしゃむしゃ食べていた。から揚げが出たときは同級生にあげた。見るだけでおえっとなった。一般では、この食事のような比率が普通なのだろうか、と思いつつとりあえず昼飯に出されたとんかつを食う。じゃくり。ご飯はとらなかった。食べきれないと思ったからだ。昼飯後、後悔する。とんかつで胃がどんよりとしていて重たい。気持ち悪い。
 寮ではみなよく菓子を食う。インスタントラーメンとおつまみ類(春雨ヌードルなどは可らしい)は禁止されているが基本持込自由だ。購買でも色々売っていた。俺は購買で『ポイフル』というゼリービーンズを同級生に勧められて買い、しばらく嵌った。おいしい。俺はいつも他人のそういったもののストックをみて驚いている。が、普通らしい。皆そんなものだった。俺は干しレーズンと金平糖とラムネ菓子を持っていて、それをぽりぽり食ったりしていて、「ああ、俺お菓子食ってるなあ。お菓子食っちゃってるよ。」と思っていたのだけれど、他人のを見ていると麻痺しそう。
 俺は夕食後に何かを食べることに抵抗があって、でも皆パンやらおにぎりやらを何の抵抗も罪悪感もなく注文しては食っている、注文していなくても何か食事のようなスープ、又はスープに春雨の入ったものを食べている。慣れるのが嫌だなあと思う、俺は3食とも全て学校で出される朝食くらいのものが丁度いい。生活の基本は粗食がいい、粗食が好きなのかもしれない。あ、このしょうが焼き食べてくれない?そのサラダ食べてあげるから。

 紅茶、はパックにしろ処理がなんか面倒なのでずっとインスタントコーヒーを砂糖もミルクも入れず飲んでいた。濃度は瓶から直接ガサガサと入れるのでまちまちだけど、全体を総合して濃い目だと思う。
 一度にたくさん作れて楽だし、何度も洗面台の並んでいる部屋にあるポットへ行かなくてもいいからと軽量カップにコーヒーを入れて移動していたら驚かれた。家でもよく軽量カップから飲んでたよ、持ってきた陶器のマグカップは使い辛いんだよね。それ以来、寮では俺が軽量カップにコーヒーを入れているのを見ると「ああ例の」という反応をされるようになった。俺からすれば着ぐるみで寝るだけでなく(寮の中だけとはいえ)生活する方が違和感がある。暖かそうだけど。
 そして今思った。烏龍茶にしろ紅茶にしろ緑茶にしろ、葉を直接カップに入れてお湯を注いで、そしてその葉を食べてしまえばいいんじゃないかと。でも多分苦痛になったりするだろうからやらない。少量の茶葉ならいいだろうけど。
 
 コーヒーばかり飲んでいたら、コーヒーだけのせいではないと思うけれど胃が痛くなり、鏡を見れば肌が荒れているように思えた。でも帰省するまでコーヒー(濃い目のブラック)はやめなかった。せめてミルクと砂糖を入れろ、カフェオレにしろという同級生の言葉を聞いてもブラックのままだった。俺はコーヒーを、いつだったか忘れてしまったけど飲みだしたときからずっとブラックだ。一昨日奢ってもらったときはカプチーノだったけど。
 帰省までただの水みたいに飲み続けたコーヒーも、帰省後は一回もまだ飲んでいない。今飲んでいるのは家にあったもらい物の烏龍茶で、適当なマグカップに直接茶葉を入れている。飲めればいい。どうでも。それでもあのカプチーノはおいしかった。



 家から離れている間も、俺は何一つ忘れていなくって、で、そういうのが嫌になって20歳か25歳で死のうかと毎回考えて、じゃあ今勉強しなくてもよくなるなあと思って課題をやっていた。
 俺は何者にもなれないだろうな、というのが剥がれない。その前に剥がそうという意思もない。ない。人は忘れる生き物、って覚えてるおれは人じゃないかも、とかふざけてみる。過去なんて忘れなさいよ、と俺に言う人に過去はあるのだろうかとさめた視線を内心で送って処理する。過去なんて忘れちゃいなよ、馬鹿か、忘れられるのならもうすでに忘れているよ!…俺の意識しているところからは見えないところで勝手に色々動いているんだから俺にはどうにもできない、美化される記憶があればその逆もあるのでは、という俺は反抗期か否か。どうでもいい。至極どうでもいい。俺の散文、どうでもいいとどうでもいいことばかりだね。

 明日は、図書館で過ごそうか。そして帰ってきて風呂の時間まで寝て、風呂から上がったら本読んで、課題もしないと、そして寝て、起きて、掃除機かけたり食器洗ったりして、また図書館へ行こう。
 なんで図書館か。無料で何時間も居座ってられるから。家族がうるさいだろうけど、うるさいから図書館へ行くんだよ。俺、小学生のときから遊びに行って来ると言っては本屋か図書館に行ってるなあ。うわあこれもまたどうでもいい、どうでもいいこと書いちゃった。
 ああ、ここもわりと寒いけど、外は寒そうだ。



散文(批評随筆小説等) 2010.3.29.月 Copyright 榊 慧 2010-03-29 17:26:19
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