冷たい血が俺を生かしている
ホロウ・シカエルボク
そいつはこの上なく獰猛で
このうえなく強い顎の中に
鉄をも貫きそうな頑丈な牙を備えている
だけど死体だ、死体だ、死体だ
建築計画が頓挫した
コンクリが剥き出しのビルディングで
ヤク漬けのコールガールと6時間ヤリ続けた
キャンディと名乗ったその女は
最後には泡を吹いて痙攣を始めていたけど
半時間休んだらムクリと起き上がって
分相応なだけの金を受け取ると
ポーラ・アブドゥルを口ずさみながら大通りの方へ消えて行った
俺はガムを飲み込みながら
失くしたものが戻ってくるまでそこでじっとしていた
そのビルから地下鉄で二駅ほど南にある
「さかさまのヘブン」という名のバー
カウンターの中でシェイカーを揺さぶっている女は
子供のころに母親を撃ち殺したらしい
めずらしくもない話かもしれないけれど
確かに彼女の瞳の中には過去と呼べそうな光がひとつもない
俺は数年前からこの店の常連だけれど
彼女と会話らしい会話をしたことは一度もない
ポップスをレイプしてた頃の
パブリック・イメージ・リミテッドがいつも流れている
昼間がどんな天気でも
この街の夜は蒼褪めた曇り
乱暴なタクシーがホーンを鳴らすたびに
歩道で転がってる野郎どもが犬みたいに吠え返す
なあ街の外れの墓地まで乗せて行ってくれよ
親族の死体を掘り返して未来と名付けたいんだ
ドライバーは一言も言わずに鼻を鳴らすと
一度閉めたドアをまた大きく開いた
夜に向かって
この街の真夜中に向かって
そいつはこの上なく獰猛で
このうえなく強い顎の中に
鉄をも貫きそうな頑丈な牙を備えている
だけど死体だ、死体だ、死体だ、死体なんだぜ
部屋に戻った俺は壁に日記を書く
十数年前に見たモノクロ映画の物真似さ
いつぐらいから
日付のあとにエンプティって書き添えるだけで
読み返しても面白くもなんともないけれど
思うに日記なんて自己催眠みたいなものだ
その日の中に記すべき何かがあったと
信じたくて仕方のない誰かがダイアリーの売り上げに貢献してる
夢の中で俺はターバンを巻いてひとこぶのラクダにまたがり
世界の終わりみたいな砂漠の上を彷徨っていた
最高温度に設定したハロゲンヒーターを
周囲に百個並べたみたいな太陽が照りつけていて
ラクダがひとつ歩を進めるたびに
俺は呪詛の文句をカラカラのくちびるから吐き捨てていた
夢の中で何を探しているのかよく判らなかった
夢の中の俺はどうしても
何かを欲しがっているようには見えなかったのだ
明方にいつも小便がしたくなって目が覚める
そしてそのあとは決まって
一時間近く眠り方を忘れるのだ
そこから一時間以上眠れなかった時は
その日の仕事は休むことにしている
そうでなければ崩れてしまうのだ
生体としてのこの俺のバランスというものが
シャワーは適当に濡らすだけ
清められるなんて幻想だって判ったから
朝食は取らない
別に面倒くさいとかいうわけじゃなくて
いつからか朝食の取り方というものをすっかり忘れてしまっただけのこと
インスタントコーヒーだけ飲んで着替える
物足りないという気分じゃなければそれが朝だという気がしないのだ
骨董なみのラジオから流れる
ヒット・チャートを数曲聞き流したらお出かけの時間だ
仕事場までの地下鉄の中じゃ毎日誰かがおかしなことでもめ事を起こしてる
財布をスッたとかスラれたとか
たいしてイカしてもいない尻を触ったとか触ってないとか
どいつもこいつも何がしたくてこんなところに乗りこんでくるんだか
誇るべきほどの金も持ってない俺にはスリなど怖くもなんともない
そいつはこの上なく獰猛で
このうえなく強い顎の中に
鉄をも貫きそうな頑丈な牙を備えている
だけど死体だ、死体だ、死体だ、死体なんだぜ…
俺は毎日六時間から八時間
プレス機の中に鉄板を突っ込んでる
二枚重ねて入れないように注意しさえすれば
あとは何も考えずに手だけ動かしていればいい
昨夜のコールガールの
意外と具合のいいアレのことを考えながら仕事を続けていたが
時々隣に立つ年寄りには心底うんざりさせられる
そいつはどうにも否定しがたいほど俺そっくりな顔をしていて
しかも見るからにいい暮らしなんかしていない
痩せこけていて
目には力がない
ふっと俺が自分のことを考える時
そいつは必ず俺の隣に立つ
そして俺のように鉄板をプレス機に突っ込んでいる
畜生、と俺はプレス機のリズムに合わせて声を上げる
腹を立てないとそいつは絶対に消えてくれないのだ
今夜は誰かが俺に抱かれてくれるだろうか
「さかさまのヘブン」のカウンターの
暗色のオーロラのような目をした女は
一度くらいなら俺とやってみてもいいなんて思っていないだろうか
財布の中の金はあと何日俺を楽しませてくれるだろうか
明日の明方にも俺は尿意で目が覚めるだろうか
そいつはこの上なく獰猛で
このうえなく強い顎の中に
鉄をも貫きそうな頑丈な牙を備えている
だけど死体だ、死体だ、死体だ、死体なんだぜ!
もう叫び声が許される歳じゃない
もう恐怖に任せてぶちかましていい歳じゃない
俺はなにもかも判ってるつもりだ
だけど死体であることが何よりも恐ろしいんだ
俺は自分のことを血の通った人間だと考えているだろうか
時々それすらどうでもいいことだと考えてしまうんだ