詩集評 国道四号線のブルース 構造 1000番出版555シリーズ 
リーフレイン

国道四号線のブルース   作者 構造   1000番出版555シリーズ 

 作者の構造氏は1977年に生まれた。(と、後書きに書いてある)作品のほとんどは学生時代から2008年あたりにかけて書かれたものなのだが、彼はその当時も今も就職氷河期の真っ只中で翻弄されている。彼の詩は、現代の男の詩なのだと思う。 2ch詩板の住人として彼と話を交わし始めたのは2005年で、彼は大学の最終学年で求職中だった。やや やけっぱちだが、よくいる普通の学生さんだった。就職氷河期の真っ只中で、地方の中堅大学だった彼の大学へは、ひとつ上のランクの大学から学生たちが求職情報を漁りにきていたそうだ。 2007年の彼はフリーターで、安部内閣の自衛隊予備役に応募していた。2009年の彼は派遣で仕事をしていた。今もその仕事は続いているが、正社員になれる見込みはないのだと言っている。 結婚の見込みもいまのところないらしい。

 詩を読むと、精子がどかんどかんと音をたて、目の前にぶちまけられていくのを感じる。 イカ臭い、ネバネバした精液が黄色なカビカビになってページの上にこびりついていく。 生命があてもなく消費されていくような徒労感がぬぐえない。  希望はーー


国道四号線のブルース

四号から
四人目の女から僕は生まれた
ひき殺された蛙のつぶれた
腹の中から僕の声がきこえた
泥藁がべばりついたアスファルト
僕は車を止められなかった
そうしてひしゃげてしまった
ボンネット
みんな通り過ぎて
幾夜もたって
過ぎ行く季節はもう秋で
稲穂がすっかり錆付いた
掻き混ぜろ、苦い苦い



詩集の題にもなった詩である。ストレートに、誕生と同時にひしゃげた蛙は本人であり、彼が思うところの詩集の象徴なのだろう。蛙は潰れている。誰にもかえりみられることもない。ただ、米を掻き混ぜる自分のみがその光景を噛み締める。いやしかし、詩は書かれ、こうして読まれているのだ。つまるところ詩に書く行為そのものが米を掻き混ぜることなのだろう。

もうひとつ。


あるけ

やめろ やめた やめた から やめろと さけぶ
やめろ やめろ おれは そうで あること を
やめた やめた やめた なにもかも すべてを

やめた あるけ あるけ あるけ はしれ はしれ
ぼくは ほくに めいれい して それには したがい
たくは ない あるけ いきろ はしれ しね と

やめた やめた なにもかも やめた おれは おれは
おれは おれは おれは おれた おれた
ゆるした って ことだ やめた おれは やめた

おれた ゆるしたた  って ことだ おれは おれは
すべてを ゆるした すべてに おれて やめた やめた
やめた あげくに やんだ ああ もう やんだ

おめれら ほっだら こと いっても もう おれは
やんだ おめえらが ほっだら こと いっても おれは
もう やんだ あめも くももも おひさまも さけべ
つぶれて はらが いてえ いてえ つぶれろ めまいで
ぐあいがわりいから どこにも いきたくも なんとも
ない やめろ やめろ すべて すべて ほっだら ことは もう
どこにも ない ない ない ない ない ない ない
ないない づくし の なかで あるけ あるけ あるけ
はしれ はしれ はしれ そうして おめえは あるけ



 淡々と続く三拍子のリズムが、おれた心をおれたまま、まだ歩かせている。
希望はない。しかし潔い。 野原のさらし台の上にささった潔いさらし首に、潔い太陽の光がまんべんなくそそいでいるような爽快さがあるのだ。 なにもかも 一切合財 さらけ出して、 汚いものも、恨みもつらみも、希望も憧憬も 内臓の裏までひっくりかえしたあげくに、なにもかも公平に平等にさらされて干されて白く爽快だ。 この爽快さが赤裸々な言葉を連ねた詩に麻薬のような魅力を与えている。

 そして、もちろん美しい。


神君徳川家康公

いえやす公
幕府をひらいてください

いにしえということばがすっかりと
きえさったあとで誰もが
赤いカーテンや黒いカーテンのむこうで
からごころのうたをうたっています

しかたがないのでぼくたちは
石竹でつくられたさくらの顔料の
女の肌をみつめながら
たたきつけられた
きえいるころがねのひびきが
急転下して流麗になる計算された
さけびのなかで
恋のうたをうたっています

ーーーー後略ーーーー


 実のところ、彼の詩を、15年先に生まれた自分は、後ろめたさなしには読めない。
自分は そこそこ普通にしかれたレールをはずすこともなく、のほほんと生きてきた。そしてそれは、運が良かったからであると同時に、なにがしか彼の(あるいは彼ら若者の世代の)不運につけをまわしてしまっているように感じるからだった。 彼を含めてこれからの世代に、自分も含めた老人たちはいったい何ものかを用意することができるだろうか?

 最後を飾った詩は aaa という詩だった。
結句は


てめえらの子々孫々にいたるまで
祝ってやる 
祝ってやる

 呪いともみえる言葉だが、決して呪いではなかった。
呪いではなかったということに一抹の安堵を覚えてしまうのである。
 多分、どのような世代のヒトであれ、一度は読んだほうがいいと思う詩集だった。


散文(批評随筆小説等) 詩集評 国道四号線のブルース 構造 1000番出版555シリーズ  Copyright リーフレイン 2010-03-19 21:42:15
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