遭難
古月

逃した魚が尾ひれを揺らしながら
泡のような歌を唄うから
僕とお母さんは今夜もふたりきり
空っぽのお皿を囲んでいる
待ちくたびれた夢の中で僕は
とても大きな魚を釣った

お父さんの乗った船が氷山にぶつかって
いまだに体が見つからないまま一年
数字になったお父さんの
初めての誕生日がやってくる
テープレコーダーから流れてくるのは
僕が生まれた日のハッピーバースデー
ロウソクの火を吹き消したら
今度は僕が唄ってあげるね
ハッピーバースデー

目が覚めるとお父さんが帰っていて
大きな魚が釣れたよって自慢げに
両手をいっぱいに広げて見せる
僕はなにかを言おうとするけど
言葉はするりと逃げてしまった
お父さんの凍りついた両手がぼろぼろと溶けだして
部屋はたちまち水浸しになる
インターホンから聞えてくる泡のような唄
いまにも玄関を突き破りながら
なだれこんでくる巨大な氷山
舵を取るひまもなくあっという間に
僕らのうちはこなごなになった

お母さん
僕きょうね
学校の帰りにお父さんを見たよ
お父さんの後ろ姿はこんなに
こんなにでっかかったんだ
港のほうではたくさんの汽笛が
いつまでもいつまでも鳴り止まない
ありがとう
お父さん
お母さん
ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデートゥーユー
最後の通信を
これで終わります


自由詩 遭難 Copyright 古月 2010-03-18 18:15:41
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