Be Happy
salco

落ちていた金を拾うのは、幸運とは違うだろう
ネコババしたそれで食いつなぐのが幸せとは違うように
寒い戸外から帰って熱いコーヒーにありつける幸運な人の
想い及ばぬ状況が世の中にはあるにせよ、幸せとは
もっと観念的なものに違いない。
例えば、見知らぬ相手に笑いかける
この働きかけができるのは幸せなことだ
ウィルスではないから感染力は持たないにせよ
或る意味、病的に健康な人間にしか伝播しないにせよ。
赤ん坊のアルカイック・スマイルも淫売の媚態も、意味するところは
平和裡の協奏だ
満腹が幸福論の大黒柱なら、精神的充足は根太である
牙を剝く猛獣も殺人者の含み笑いもそう
幸せとは、畢竟エゴの夢想でしかない。いや瞑想状態と言うべきか
ただヒトがそれを破壊行為に帰納すれば、エゴの黒点に終始する
浅ましい欲望の表現でしかない
原生動物として存在するのでない限りは、荒廃的退行に没するより
精神は建設的に活用して人生に意味を付与する方が望ましいわけで
宮沢賢治的清貧思想とは行かないまでも、なるべく身を慎んで
心穏やかに、じっとしているがいい。
何もすることがないのなら
おのれの裡に畳み込まれた複雑な、半透明の襞でも数えることだ
指で弾くその音色はおおよそ正直で、おおむねは美しい。


譬えて言うなら幸せは、猫の耳のようなものだろう。
薄くて些末な、乾いていて柔らかい、つまり軟骨だ
それで時々、音の方向へぴくりと動く
それでも猫はじっとしているものだ
大儀なのだろうし眠いのだろう、つまり安寧に比重を置いている。
幸せは、恋愛とか美食とか勝利とか、そんな動的なものではないのよ
自分にそっと微笑む、この侘しさも人生の指標なのだ。
路上の泥酔者がおのれの吐いたゲロで息絶える
これも羨望すべき嘉福だ
なぜならその時、夜空は空しくないだろう
こうして死でさえ夢見に内包され得るのだ
だから感情の起伏や状況の浮沈で自らを貶める必要はない。
そんな小さな尺度の下で我々は生きてはいない
なぜなら既に10万年とちょっと、生きて来たのだ
無心の中に幸せの風はいつでも吹いている
往々にして一過的にしか感じ取れないにせよ、これは
使い切れない貯金のようなものだ
ならば数えよ、濫費せよ。


自由詩 Be Happy Copyright salco 2010-03-16 23:37:05
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