詩人達の新たな旅路に向けて 〜「黄色の日」の印象的な詩のひと時〜 
服部 剛

 皆さんこんにちは。昨日の「黄色の日」は、とても楽しいひと時で、それぞれの詩と朗読と会話が近況報告になるような同窓会の雰囲気で、美味い酒を飲みつつ僕もふだんの「はっとりん」らしい自分が回復されるのを感じました。このいい感じのテンションで、3月21日(日)の「ぽえとりー劇場」へと、歩みたいです。 

 昨日「黄色の日」に集まった詩人の皆様、この手紙を読んでいる、詩を愛する皆様、毎月第3日曜日の「ぽえとりー劇場」に都合のいい時はぜひ遊びに来て、皆で語り合いましょう。ところで、5年位?前の「黄色の日」も楽しい時間でしたが、今回の冊子はとてもよくて、いい詩集だなぁ・・・と思います。詩の内容が全体的に以前より、平明かつ、充実して、それぞれの詩でありながら、一つのテーマに収束してゆくような一本の線が見えました。 


  詩学の「青の日」で集い始めたあの日から、
  僕等には、目には見えない、糸がある。
  それぞれの日常はありながらも、僕等の詩心は、不滅です。 


 そんなことを感じる、印象的な1日でした。以下、それぞれの詩の感想です。充実の詩の数々であり、意味深い詩のひと時を伝えるこのレポートは意味深く・・・長いので皆さん何日かに分けて?ゆっくり読んでいただければと、思います。 

  ・・・・・ 

 僕等は以前、詩学社の「青の日」という合評会に集い、それは、テキストとしての詩について考える貴重なひと時と詩を愛する仲間の出逢う、かけがえのない場でした。「黄色の日」は白井明大さんを中心に、当時の仲間とその後出逢った仲間を交えて、昨日久しぶりに行われ、詩誌で最も歴史の古い詩学が、たとえ今はもう無くても、在りし日の代表・寺西幹仁様と共に詩を語り合った日々の延長が今もなお続いているのを感じました。 


「ある外科医の告白」・・・どぶねずみ男さん  

 外科医なのになぜか(ソバージュにしてください)という患者?にロットを手に奮闘したり、30センチの厚底のサンダルで転んで骨折した患者の治療そっちのけで、厚底をひたすら削ったり・・・(根本的治療が、必要です)とユーモアを含んだ言い回しの中に、これらの滑稽な患者が、現代の人々に重なる比喩として、描かれている、面白くも、面白いだけではない詩でした。 


「美しいハーモニー」・・・神山倫さん  

 地下鉄の駅で、携帯で話すサラリーマンと手をつなぐ外国人の老夫婦と、乳母車に乗る赤ちゃんの笑い声が重なったハーモニーが、地下鉄のホームの空間に響いてゆく瞬間を描いた詩で、日常の中でふと、足を止める瞬間が、詩人なのだと思いました。 


「枝のあとさき」・・・白井明大さん  

 朴訥と語るようで何故か、ナチュラルな日本語の詩・・・と感じるのは独自の白井節である、ひらがなの使い方によると思います。自分の子供の歩みを見守る、父親の暖かいまなざしを感じる詩で、玄関の靴に子供が置いていった小さい手のひらのような木の枝・・・という一枚の絵が浮かぶようです。その、小さき木の枝と子供への愛しさを通じて、なにげない日常に潜む愛しいものたちの存在に気づいてゆく、詩人のまなざしを感じます。 
 子供の歩みの後から、見守るような父親の足跡が連なるような描写は、誰もが密かに求めていることで、印象に残りました。  


「ガーデン」・・・キキさん  

 まず、1連の(わたしの、昨日までのすべてを照らす明け方の夢を更新して)という2行がとてもいいと思いました。2連の、眼球も、嘴も、舌の骨も、ばらばらに描かれているような鳥のイメージは、自分という存在をつなぎとめたい・・・と願う現代人の姿に重なりました。3連の(海底で彼は 世界で一番小さな鳥を探している 美しいうつくしいその羽根を 毎晩夢に見て 枕にしがみついている)という、彼は、詩人の姿に重なりました。4連の(誰ひとり濡れないような世界で一番大きな木)はきっと誰もが探し求めている存在なのでしょう。 


「解禁」・・・とものさん  

 (寒すぎる夜のミネストローネ あったかいスープ皿)という日常の食べものから詩が始まるのは、とものさんらしいと思いました。2連の(瓶の中押し込んだ自分 引きずり出す日が来たね皮を傷つけながら 絞り出した)という描写はとても印象的で、自分が歩いて来た道の途上で、時に傷つきながらも、詩の言葉を語る舞台へと、歩んでゆく決意のような気がしました。3連(記念にラベルをきれいにはがしたって その存在をきれいに忘れてしまう)〜(ここからの3日くらいあればじゅうぶん自分の歴史はすべて終わる)というところで、潔さというか、葛藤を越えて潔くあろうとする自分を、感じます。 

 5連(刺さる雨は細く堅牢なピアノ線 メリケン針の太さ「針山ぞ 我は」と傷をみつめて 駅の外 雨の夜明るい月に会えたと思えば 新しい街灯の白い頬 撫で)・・・「針山ぞ・・・」の言葉は引用する言葉の雰囲気で、この詩の中でも、効いています。厳しい日々の道のりを、歩んで来た人だから使える、言葉です。その暗夜の道にも、月の白い光を求める心情を、感じました。 

 詩のラストは(あいたい)という心情と(溶け出す熱いチョコレート)が重なり、肉感的に、効果的にイメージが伝わりました。 


「口ずさむのはカントリーソング」・・・岩村美保子さん  

 雨が降る午後に、携帯が鳴って、しょうもない営業の電話でがっくりしながらも気を取り直して(ジョージア〜レイン♪)と繰り返し歌う、表面は明るい詩でありながら、誰かの電話を待つような、しんみりした心情という両面のある詩で、やはり関西弁の詩は、人間味とぬくもりがあると思いました。 


「彩明」・・・小夜さん 

 (冷え切ったてのひらをきつく握って 爪が皮膚に食い込むのを 感じる )という2連はとても小夜さんらしく、哀しみをも越えて生きる実感を求めているのが、伝わります。時に葛藤しながらも、道を歩み続けて(けれどすべては必然だったと 自分で自分を抱きしめる)という感覚に至り、まずは今迄歩いて来た自分抱きしめることの大切さを思いました。 

(けれどただ信じる 冷え切った顔を信じる 噛み締めた唇を信じる 
 語るための唇だ 伝えるための 触れるためのてのひらだ 
 生きるための                        )      

 昨日、イベント会場へ向かう電車の中で(ただ信じる)というこの言葉にふれて、僕は感動しました。哀しみを越えた(夜明けの空)の視える詩です。 


「中空」・・・イシダユーリさん 

 男の人の手を引いていきながら、隣には猿がいたり、男の人がしぼんでスピーカーに返信して(わたし)の手にぶらさがりながら、若いのか老人なのかわからない不思議な声が聞こえたり、詩の後半では(わたし)が猿になっていたり、発想の面白い詩で、今迄ののユーリさんの詩とはまた違うイメージの詩だと思いました。個人的には2連目の、スピーカーから聞こえる男の不思議な声が(僕は僕のことが好きになった)と歌う1行が、胸に残ります。 


「天国にはパレードがない」・・・夏目ゆきさん 

 数年前に世を去った寺西さんの、「泣きじゃくり部屋」という詩の続編のような雰囲気の詩で、誰もが時に、人目をはばからず、泣きじゃくれる部屋を求めているかもしれません。この部屋は、時々男が爆薬をしかけたかと思うと、ある日の夕方は、ぞろぞろと人が入ってゆくという不思議な部屋が描かれています。 

(両手いっぱいの洗濯物を手に 
 私は泣きじゃくり部屋に背を向ける 
 それから窓をそっと閉めた     

 子供の頃に殺してしまった小鳥は小箱に入れて 
 夕飯の支度をはじめよう           ) 

という生活感のある言葉から、Tさんは世を去ってしまったけれど、残された者として、継続してゆく日々を生きてゆく意思を感じました。


「伝説と歌 ?」・・・原口昇平さん 

 この日、多くの人がこの詩を選んで、朗読しました。僕も、とても、印象に残りました。未知なる存在からの深淵の声は、地上に投げ出された人間に、厳しく嗜めるように囁きながらも、神秘的な愛の声のようにも聞こえます。優れたソネットの詩でありながら、詩以前の言葉そのものと感じました。 


「鳥の祈り」・・・高橋正英さん 

 この日、1番多くの人が選んで読まれたこの詩には、誰もが心の中で求める(何か)があるのでしょう。僕もこの日、いろいろいい詩を読んだ中で最も優れた詩だと思います。


  私は 
  私を流れる 
  ひとすじの思い 
  空中に不思議なアーチをいくつも築き、 
  伝えたい思いとして 
  届けたい思いとして 
  どの路を通じてもあなたに交わるのだろう 


 この箇所を、朗読する時、昨日集まったそれぞれの詩人の間に密かにつながる目に見えない糸のあるのを、感じました。人と人を繋げる、詩の言葉です。詩の中盤では、鳥が空を飛翔しながら、美しい夕日から地獄坂まで、いろいろな場所を眺める情景が流れてゆくようです。詩の後半も、素晴らしい言葉です。僕の説明よりも、そのまま引用させていただきます。 


  のぞむとのぞまないとにかかわらず 
  すきやきらいにかかわることなく、また 
  ふえることもへることもない 
  世界は 
  あなたのその一回のはばたきでうまれおちる 
  いのち 
  ひとつひとつは 
  ひとつでしかない 
  ひとつでうまれ、ひとつでさる、一 
  たったひとすじの思いとして 


「プライベート・レッスン」・・・小倉拓也 

 この詩もこの日、多く読まれた詩でした。愛を交わす(ああ、とか、うう、)とか言う声は言葉に言い表せぬ、言葉以前の、本能の声でありあなたの声でありながら、私の声であるという、冷静に俯瞰する目線を感じます。 

(私だって大抵はよだれを垂らしている 
 肺と喉と舌による発語がまだうまくできないから 
 あなたは私のよだれを見て 
 色々な言葉で修飾してくれる         ) 

という言葉から、飾らない動物的な人間の姿が見て、そんなありのまま男と女が支えあう、愛情の在り方も見えるようです。二人の愛の授業が終わった後に、(四十六億年が経ったこの星の話をしよう)という詩のラストも印象的でした。 


「ふりかえるに.txt」・・・太郎本人さん 

 覚醒剤を題材にした散文詩で始まる前半は、壊れた雰囲気を伝えながら、詩の中盤から後半の台詞で(人は誰でも人には言えない秘密を守ったまま死んでいくの)(すべての季節は終わるという当たり前のこと。)という言葉に、説得力があります。 

 探していた「ヤマザキのコッペパン」がコンビニになかったけど、詩のラストでは他のコンビにで見つけるというところに、人生は時に絶望の季節あれど、その先に希望のあることを暗示しているようで、いい詩だと思いました。 

 なお、(パンツ一丁)や(ニャー!)という言葉の出てくるこの詩をクロラ君やキキさんが読んだのが、とても面白く、店内から笑いがくすくす漏れました。 


「ポーカー」・・・木葉揺さん 

 ポーカーをしているスリリングな時間を人生ゲームに重ねているようで、興味深いです。(フルハウスは来るものじゃない 作るものだ)という言葉は名言で、僕はフルハウスを幸運と当てはめて読みました。

(それに必要なものは 「スペード」 言うんじゃない 
 やっぱりロックだ 声に鍵をかけてやる       ) 

というあたりのフレーズも、詩の中で効いていると思います。詩の後半で、いらないと思っているスペードが次々の来る不思議な魔力を感じる展開で、最後の最後に「フラッシュ」になるという、筋書きの無いドラマが見えました。 


「メロディ」・・・安田倫子さん 

 過去に求めた幸せを、呟いて、置いてゆく・・・そんな明け方の密かな思いの先に、これからの人生の新たな希望として次の舞台で、新たな次元のチャイムを鳴らすという決意と、その鐘の音が、何処か遠くから聞こえてくる気がする詩でした。 


「夜の廊下」・・・柴田千晶さん 

 1連の(清掃車のオルゴールが秋空から聞こえポリ容器の中で生ごみは光る)というフレーズが印象的です。一人住むアパートの部屋で、夜の廊下を通り過ぎる者達の気配と雰囲気がよく伝わって来る、夜の中で(透明なエレベーターが身体を降りてゆく)という言葉も印象に残りました。 



 ちなみに僕は「浅草物語」という詩で参加しました。よかったら、テキストはこちらでございます。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=203974 本来は、それほど笑える詩でもないけれど?イベントの最初にどぶさんがはすきーな声で詩の中のあげまんをもらったホームレスの爺ちゃんが「おぉ、あげまん・・・!」と叫ぶところで笑いが起こり、詩のイメージを一変するどぶさんの朗読力(キャラ力)を感じました。イベントの最後の方では成田さんが店内を歩きながら読んでくれて「おぉ・・・〜」のところはまたしてもどぶさんが叫び、その少し後で、僕がこの詩を読んだ時も、僕とどぶさんの二部合唱で「おぉ、あげまん・・・!」と叫ぶという夢のコラボ???が実現(笑)したのでありました・・・ 


 イベント後は西荻窪駅近くの坐・和民の座敷で、皆、だいぶお酒の入って頬を赤らめた頃・・・僕の隣に座っていた神山倫さんが言いました。 

  「皆、あの頃詩を書き始めた時の歓びと初心を、 
   いつまでも忘れずにいよう・・・      」 

 僕等は、詩を書き始めた頃の初心を核に、技術も養い、創造的な進化を目指すであろう・・・。 

 打ち上げの後、飲み屋を出ると、隣を歩いていた白井明大さんは言った。

  「僕等は国を失った民だよ」 

 詩学という雑誌はその昔、最初は「ユートピア」という名前だったそうです。詩を愛する僕等はそれぞれの歩みで、密かな縁で繋がりながら、これからの、真のユートピアを目指して、新たな旅路を、歩み始めるであろう。   


   詩を愛する仲間の皆さんに精一杯の、親しみと感謝をこめて。 
         (平成二十二年三月七日「黄色の日」の翌日に) 








散文(批評随筆小説等) 詩人達の新たな旅路に向けて 〜「黄色の日」の印象的な詩のひと時〜  Copyright 服部 剛 2010-03-07 12:26:30
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