アルフォンソ・サノヴァビッチ4世についての覚え書き
salco
元サーカス団員、元俳優。自称哲学者、思索家、表現芸術家。
1917年12月25日(出生届では同年8月3日)イタリアのジェ
ノバに生まれる。2003年7月2日没。
母親は巡業劇団の女優。真偽は不明ながら父親はポーランドの亡命貴
族と言われて育ち、本人も後にサノヴァビッチ侯爵を自称。本名はヴ
ィットリオ・アルフォンゾ・ティッツピアーノ。
「敬虔なカトリック信者である母の原罪意識に配慮して胎内に胴体を置い
て来た」為、両側頭部から生えた手首から先と顎関節下から出た足先(踵
はなかった)で器用に生活した。その歩く姿は正に節足動物さながらであ
ったので、名を知らぬ者には「カニ男」とか「クモ人間」と呼ばれた。
しばしば彼が好んで話題にした排泄物については、常に顔の直下に地面が
あったので田舎では牛馬、都会でも犬猫の糞尿を強迫的に捉えざるを得な
かった生活史に因すると考えられる。
その一方で、胴体部分と四肢の大部が割愛されている為、張り出した後頭
骨に守られた心臓が送り出す血流は直ちに脳を巡り、侯爵は晩年、「脳細
胞がしばしば過呼吸になるほど明晰だった」と幼年時を振り返ったものだ
。だから自分ほど思索向きの人間はおらず、見世物になるよりも然るべき
教育さえ受けていれば、スピノザやエラスムスなど束になっても敵わぬ論
陣を張れたであろう、というのも口癖だった。
そのように他の主要な内臓も小型ながら頭蓋に秩序立って収まっており円
滑に機能したので、脳の活動を含む基礎代謝、顔面及び手足の運動をまか
なう熱量をしか要さぬ侯爵は極めて小食であり、1日の食事量はひと掴み
のパスタにレタス1、2枚とトマト1切れほどで足りた。金属では無粋だ
と陶工に作らせたコーヒースプーンで愛飲したエスプレッソでさえ、起き
抜けと毎食後に3口ずつで済んだ。すぐに回ってしまう酒と煙草は口にし
なかったが、脳の占める体積比が圧倒的なので糖分はよく摂った。虫歯で
歯の殆どを失ってからは、グラニュー糖を流し込んでは舌で楽しんでいた
ものである。
若かりし侯爵の生きた時代は、ポリティカル・コレクトなる言語学的偽善
もバリア・フリーなる最大公約数的欺瞞も存在しなかったので幾多の困難
もあったが、ひと括りに無産者として生活水準を障害者年金で制限され、
人件費の高騰でボランティアの善意と介助犬の忠心をしか恃めなくなった
現代と違い、甚だしい不具者ほど意欲的に金を稼げる世の中でもあった。
曰く、「できない事を凌ぐくらいにできる事もあったのだよ」。
鼻の下にチュチュを穿いて特製のトウシューズで踊るなど数々の当たり芸
でひと財産を築き、後年は「サロメ」のヨカナーン役(頭部切断後の)で
スカラ座客演を果たすほど有名になったので、料理や洗髪、爪の手入れを
始めとする日常の面倒は総て付き人に任せていたが、生活はごく質素で上
品なものであった。
と言うのは大型家具や、靴、手袋、帽子以外の服飾品を要さなかったばか
りでなく、舌下に当たる下顎骨底外部の窪みに慎ましい陰茎はあっても肛
門が無く、摂食と排泄が口腔で統括されていたのである。この極めて自然
な合理は気取りのない人柄を醸成し、清濁浄汚の差別観念で優越を構える
矜持のいかに唾棄すべき俗物根性であるのかを、身(顔)を以て実証して
みせたのだった。
例えば彼は右手で目やにを除きながら左手のストローで少量の水を飲みつ
つ、その直下で排尿してみせた。そんな時さえ爪先立ちになることはない
。小指大の腎臓からその爪先ほどの膀胱に抽出された尿は無菌で、少量の
食べ物は親指大の胃と大みみずほどの腸で効率的に消化吸収されてガスが
溜ることもなく、出て来る時にはさしたる匂いもない。肺活量が極端に少
ないので嚥下に際して空気を誤飲することがなく、よってゲップもしない
。
「ホモ・サピエンスの尻というのは結局、搔く為にあるのさ」
と彼は食事の席で笑ったものだった。
そんな候爵の身に危険が迫ったのは1938年5月、アドルフ・ヒトラー
がイタリアを訪問した時だった。
わが友ベニートを内心では見下していたヒトラーだったが、催された歓迎
晩餐会で舞台上にありうべからざる奇形を見出した瞬間、その最大血圧は
463を叩き出し、傍らで馬鹿笑いを轟かす馬鹿者を激しい動悸と上気の
中で憎悪したのだった。実際、この激甚な憤怒がムッソリーニに転嫁され
ていなければ、脳の血管があるいは切れた可能性も否めない。図らずも侯
爵は暗殺によって世界史を塗り変え得たかも知れなかったのだ。
そして3年後、ヴィシー政権下でのフランス巡業を取りやめたのは、付き
人のロドルフォが預金通帳をくすねて女と出奔してくれたお蔭だった。
何しろ付き人なしではにっちもさっちも行かない侯爵だった。
「しばらく生活には死ぬほど窮したが、返す返すもあのど盗人は命の恩人
だよ」
このように無邪気に生きたので、精通を見たのは齢54であった。
と言うのは、ある朝巡業先の町で市場を散策中、乳児を抱いた若い婦人が
通り過ぎしな、ぐずり出した我が子に気を取られて買物籠を傾けた為に、
こぼれた林檎の1個が頭を直撃したのだ。
エコーもCTもなかった時代とて、喉元に陰嚢の付随しない侯爵に睾丸が
あろうとは、診察して来た医師達も自身もその時まで知らなかったのだが
、実は咽頭上部に滞留していたのであって、奇しくも所謂のど×××に重
なるような位置にあった為気づかれなかったのであろう(10代半ば頃か
ら何となく鼻腔の通りが悪くなったので、本人は軽度の蓄膿症だと思い込
んでいた由)。衝撃でそれが一気に所定の位置へ降り下った為に、気絶の
間に生まれて初めて夢精したというわけである。尤も、体温の他にも飲食
物の高温蒸気に長年曝されて来た睾丸は、生殖能力を失っていたかも知れ
ない。
ともかく侯爵にとり、これぞ遅れてやって来た世紀の発見、めくるめく世
界観の刷新、アンチ万有引力なるリビドーの摂理をニュートン君ありがと
う、といったところであった。楽園でイヴの差し出す果実のメタファーを
体感として電撃的に知った瞬間、セロトニンの大輪が花の如く火の如く脳
幹に咲き、花火の如く火花の如く無明に降り注いだのは言うまでもない。
「おお、第7天国。かほどの快楽知らでとは、最前までの生は無であった
か。知の歓びはその長きコンテクストゆえに実は労作に過ぎなかったとは
! おお、今ぞ我はこれを知れり。夢よ醒めるな時よとどまれ女よ褪せる
な。神様、お袋様、せめて残像だけでも残りますように」
侯爵はエロスの薄明に溺れながら、このように思ったそうだ。
そして夢は文字通り、あまりに儚かった。何しろ青春が遅きに失した。
恋に焦がれた侯爵がファム・ファタル探査に乗り出す前に、マスタード・
シード大の前立腺は肥大の途上にあった。そして純真な心が俗世の裏通り
へ辿り着く前に、つまりマッサージ・パーラーという便宜を聞き知った時
には、既に男性機能は力を失っていたのだった。尚もバイアグラが認可さ
れた時には老齢ゆえの心疾患を患っていた。
いかに熱心な原罪論者であろうとも、倅の童貞を祈念する老母はいないだ
ろう、自涜を知らぬ修道僧さえ絶無のこの世では。部位からして実際の性
交は至難だったと思われるが、彼は手淫さえ知らぬ(位置的に足淫も不可
能だった)童貞のまま生涯を閉じたのである。
童貞こそは人手を借りる便宜を逡巡し続ける恥ずかしがり屋の謂いである
(処女に逡巡はない。その管轄は清明な慄きである)。やむにやまれず幾
度かは敷居などで試したものの、偏平足の土踏まずに睾丸がぶら下がるに
等しかったので、いたずらに木肌を温めて痛むだけだった。
「えい、くそ」
この稀少性に併せ、ほぼ頭部だけで生き抜いたという秘蹟めいた存在意義
により彼を列聖しようという声も一部大衆から挙がらないではない。しか
し福者でさえない上にその出自と後述の、キリスト教理にもとる思想が問
題視され、現在に至るもヴァチカンは請願書の受理を拒否している。
「しかし見方を変えれば不幸でもないよ。余も一時は妄想と失望とに苦し
められはしたがね」
病床に在った侯爵は沈鬱な表情で自己解説したものだ。
「何しろ、ただの洞窟探検に過ぎんさ。それに結局、そこでクルーガー金
貨を拾った者はおらんのだろう? 対価として積まされた阿呆はいるだろ
うが。君はどうだったね。いや、敢えて聞くまい」
やや狼狽した様子で枕頭の古びた哲学ノートを繰ると、これ、ここにこん
な一文を書いたのがある、と私にそのページを示してくれた。そこには几
帳面な字で――と言うのも、手の位置が高過ぎて書いている間は文面を確
認できなかったので、ペン先を左の人差指と中指の間に入れて行を導き、
同時に人差指の腹に着けた親指の爪で紙面に罫を引く。下段を進む時はそ
の罫線の溝を今度は中指の先で辿りながら続ける。だから侯爵の筆記は
点字のように緻密で整然としていた――こんなことが書きつけてあった。
『生きる間の或る期間、我々は自分の生じ来た所を熱心に訪ねてみる。そ
こで懐かしい何か、又は新奇な何かを見出すのを期待してなのかも知れな
い。しかし結局は自分の一面を知るに過ぎないのだろう。それならば外を
歩いていて風景を眺めたり、人と対話している時にも経験できるのではな
かろうか。
女のアソコに何があるのか。未知は無限の可能性を秘めて横たわる。とこ
ろが行ってみたら何もない。望ましい今日はあるのだろう。今日というよ
りそれはひと時だろう。そのひと時とは感覚と運動でしかない。何故なら
そこは宇宙空間や新大陸ではなく器官だからだ。自分の器官をそれでしご
いただけで、その過程で女を喜ばせたと吹聴したところで、それだけの話
なのである。このようにおのれの官能を記憶に留めて欲しいが為にひと時
滞在した男達は、却ってそこに失念を置き忘れて来るのではなかろうか。
だから子が生まれる。そんな風に思われて仕方ないのだ。これは余のひが
みだろうか。まあ何とでも言うがいい。
なるほど経験は内なる財産になるだろう、確かに事実は思惟や空想より持
ち重りがする。あまつさえ記憶という形で我々はそれを蓄え、次回に役立
てることができるのだ。それでも生涯のスパンで快楽の位置づけを考えた
場合、保存に際してそれは下位修正されるに違いない。何故ならそれより
重要な事柄が幾つかあるからで、拭い去れぬ悲痛もまた多い。こと肉の快
楽に比べたら、嫌な野郎が目の前ですっ転ぶ方が少なくとも爽快なのでは
ないかと余は考える。
実際、世話になった見世物小屋をたんまり儲けさせてやった後で余が転売
先の最初のサーカス団にいた時、労働搾取者である団長が旺盛な空中ブラ
ンコ乗りに若い女房を寝盗られたと知って、我々は腹が痛くなるほど笑っ
たものだ。尤も余には腹がないので、顔面がこむら返りを起こしたのであ
ったが。
また別の団では、我々の如き「出来損ない」を蔑視してやまなかった哀れ
な猛獣使いが熊に頸動脈を断たれた時でさえ、余の心中に快哉が響かなか
ったと言えば嘘になる。
要するに交合のファンタジーは恥なのではなく、端でしかない。人生の不
如意、過酷さに於いて主要テーマとはなり得ないわけである。舞台俳優よ
りも所得の多いポルノ俳優が、B級映画の主演俳優の足下にも及ばない理
由はそこに在る。再生の需要が薄いので余禄が見込めない。おのれの局部
を8時間こするよりもまず、人は食って行くのと睡眠とでちと忙しいのだ
。
どのみち人生で何を得たところで、死ぬ時はそれを置いて行かねばならな
い我々なのだ。そして余人にはそれが何なのか見えはしない。墓石を見よ
、何一つ残せはしないというのが人生の定義だろう。家族も子孫も余人に
他ならない。畢竟「私の人生」とは、終ってみれば時空の推移というより
意識の存在でしかないのだ。肉体が滅ぶ時、その内容物もまた残りはしな
い。一回生の存在、その尊さに比べたら有形の業績などぼろ切れでしかな
い。聖骸布を見よ、ありゃどう見積もってもただのぼろ切れだ。
では魂とは何か。キリスト教者である余も常々考えて来た。不滅のそれは
恐らく核のようなものだろう。原形質なのであって、我々が生に於いて獲
得した質量の総計ではないのだ。神の手に委ねられるべきそこには何らの
意志も意識も働かない。何故なら神に対して意を発動するのは対峙であり
不遜だ。自然科学的に謂うならば、蛍の尻で明滅する光の機能が雌への信
号であれ、その光自体は意図ではないのと同じである。しかも我々の魂は
可視でさえない。
だがその論理を適用すると、生きとし生けるもの、死するもの全てに魂が
存在し昇天しなければならなくなる。それについての言及が聖書にないの
は一体何故だろう。
恐らく、我々の与り知らぬところで他種生物には専任の神がおり、天国が
別途用意されてあるのだろう。では彼等の希薄な意識、又は完全に蒙昧な
無意識に照応している主が存在するとなると、我々の書籍何万冊分にも及
ぶくだくだしい認識に照応している神は、絶対者ではないということにな
る。例えばそれはハエの主に並立する、単にサイズの大きな相対的存在で
しかないということなのだ。これは冒涜的観念ではないのか。無神論では
ないのか。
いや、ここで余は存在の有無に拘泥などしないのだ、何故ならそんなもの
で信仰は揺らがない。余の心には確かに神がおわす、しかもセンターに。
要は、我々人間側の意識の問題なのである。すると意識なき魂の取り扱い
がわからなくなるのではあるが……。まあ、わからんものは放って置くに
限る。不可知に手を掛けるのもまた不遜に他ならない。魂などくそ食らえ
だ、畢竟、信ずるままに生きて死ぬしかできはしないのだから。そうだっ
た、明日はパンチェッタの特売日だ。うっかりしていた。開店前に並ぶよ
うカルロに』
侯爵は古き佳き時代の音楽を愛聴したが、ある日ラジオから流れて来た現
代音楽家の作品に感興を催し、ぜひこの曲が入ったレコードを買って来る
ように、と施設の女性スタッフに英語の歌詞を書きつけたメモと代金を渡
したそうである(有名人の例に洩れず、侯爵も英語と若干のフランス語を
解した)。
ところが侯爵はそのだみ声をルイ・アームストロングだと信じた為、レコ
ード店ではえらい手間を強いられた。すったもんだの最中に出勤して来た
若い店員がたまたま歌詞に覚えがあり、サッチモだと言い張る客にディス
クを試聴させた。
そんなこんなで疲弊した彼女がCDを買って帰ると、老人は釣り銭をくれ
てやり、早速その部分を自室の蓄音器にかけるよう指示した。蓄音器では
デジタル信号を拾わないので娯楽室から専用プレイヤーを持って来てかけ
やると、その「テーブルトップ・ジョー」という歌を聴きながらこんなこ
とを語ったという。
「余の仲間も彼の国におったということだな。しかしこの青年は女に不自
由しなかったのだろう、自信が漲っておる。いかにもアメリカ人らしい志
向性だよ、将来に光が射しているじゃないか。
横隔膜を欠くせいでもなかろうが、元来余に歌唱の才はない。それより何
せヨーロッパ人だからね、早晩エンターテイメントからは足を洗わざるを
得なかった。そこがアメリカ人と違う。連中は、声が出ればまず発声し、
次にはどんな風にも歌うのだろう? ヘレン・ケラーが英国生まれだった
ら間違いなく4歳でロンドン塔にぶち込まれていたね。
我々旧大陸人はどうしても思索に傾いてしまうのだよ。モラヴィアを見る
がいい、あの色男は岩よりガードが固かったものだ。カルヴィーノも然り
。えらい美男子だったが、こちらは諧謔に籠城した。
ここでは多少なりとも頭を使おうと思ったら、有史の地層に対面せざるを
得んのだ。理論武装でオッ立つしか方策がない。そしてこれは勃起と対極
の連動性を身心に及ぼすのだよ。わかるかね? ヨーロッパは数多の思想
家を排出したが、解放者はアメリカから出るという原理が。
トーマス・エジソンもモータリゼーションも強制収容所に踏み込んだ兵隊
も、マルチン・ルーテル・キングもビル・ゲイツもアメリカ人ということ
さ。思想は人類の醸成ではあれ、縛めの頸木なのだ。所詮、単純で爆発的
な力学に敵いはしない。我々はことごとく発動に失敗する、時機を逸する
。ロベスピエールやボナパルトに一杯食わされたフランス人など、いちい
ち理屈をつけなければ外出もせんほどだ。だから連中の舗道は犬の糞だら
けなのさ。しかし君、所構わず痰を吐く中国人や立ち小便をする日本人を
矯正したのは、哲学思想でもプロパガンダでもマナーブックでもない。誰
あろう、GNPなのだよ。斬新な気取りというわけだ」
その3日後、心肺機能が急激に衰えた侯爵は静かに息を引き取った。
私はちょうど日本に滞在中で、先般亡くなった霊能力者の取材をしていた
。生前マリー・アントワネットやアンネ・フランクの霊を冒涜したと聞き
及んで興味を持ったのだが、白状すればアイコ・グィボという人物の極め
て興深い顔貌と心理に惹かれていた、そのことが今なお悔やまれてならな
い。
臨終を見届けた司祭はロザリオを架けた手を組ませたが、両目を覆う格好
にならざるを得なかったその顔は却ってその人らしく、「見るべきものは
見つ」とでも言いたげであったという。
「テーブルトップ・ジョー」トム・ウェイツ