サから始まる語義凡例・ス〜チ
salco
素股
性風俗業界用語で、精神性を重視した男女交際のあり方を指す。禅で言う公案、
フランス語でサルトル・エ・ボーヴォワール。
素敵
人類のみに特有の、抽象表現の1類。
小指の先の鼻くそからギャラクシーまで適応範囲が無節操に拡大される言葉。何ら
の基準に属さず、個人の価値観や刹那的感情の投影に過ぎないという意味に於いて、
実質的には溜息、概念としてはイクスクラメーション・マークに等しい。
第一、素の敵とは一体何だろうか。化粧や整形で外見がステキになるのは事実だ。
あるいは素に敵うという意味なのか。ナチュラルパーソンはワンダホーという解釈
だろうか。それはアマゾンの奥地に棲息する人々のことなのか。
ヒトのスって一体何だろう。私のスとは、ステキな私とは一体何だろう。厚塗りの
下にはもう素地などないのではないか。スが自堕落で、そこに自惚れが敵うならば、
これほどステキな状態はない。
精神
大脳新皮質のごく上澄みで人間性の論拠を構成していると定義される、知能・記憶・
情動その他の包括的有意識の文学的表現。
辺縁系や海馬と密接な関係にあり、その主従関係はいわゆる畜生道が上位のような
ので、私は過大評価はしない。こんなものに着目していると煩雑で頭がおかしくな
る。深めたところで石油が出るじゃなし。実際、生真面目に行ない澄ました人間の
方が故障しやすいほど脆弱な機関なのだ。神経は図太いに越したことはない。専ら
そちらの強化に努めて、精神は5グラム程度持っていればちょうど良いのではない
か。
性欲
動物を凌ぐ、人間の行動原理のこと。または征服欲の転意。
必ずしも獣性とは同義でないのは、性交に至る階梯の重層的儀式化(デート、焦
らし、出費、チュー、口喧嘩、雌体の落涙ディスプレイ、雄体の理解ディスプレイ
、仲直り、ブランド品、ピーチジョンの通販など)より寧ろ、ヒトがラブホの室内
装飾を始め体位や転位(赤ちゃんごっこ、ねこちゃんごっこ、おままごと、ソフト
及びハードSM等)、時間稼ぎもしくは不満塞ぎの玩具等で行為そのものに様々な
学術的工夫をこらすからである。
「やらせてくれますように」という敬虔な祈りが叶えられた時点で男はゲームの勝
者となるが、「愛された(やらせてあげた)」という地母神的支配感に於いて女も
勝者となるのであり、双方が所有・結合の錯覚で充足感を暫時共有する状態を以て
恋愛感情のピークとする。
無論あらゆるゲームに慣性はなく、勝敗がつかなければならない。相手が狎褻の裏
で何を求めているのか、その辺を探らなければならなくなった時にこそ手に汗握る
展開となり、その時点でエンドマークが見えることも往々である。
これが減退した人間を一般的に「枯れた」などと表現し修辞的に称賛するが、娯楽
を奪われた生活を羨む者は皆無だろう。排尿器官に堕したペニスには秋風が沁み、
陥入孔としての意味すら失したヴァギナは亡国の寂寥に領されるのである。
茶人の境地に憧れるのは気忙しい日常に倦めばこそ、現役引退選手のスタンスは追
憶と悲哀に過ぎない。
早慶戦
ステータス化による種の煽動を意図した造語の1類。
早稲田大学と慶應大学の拮抗を強調するのは、両者の設立背景、歴史的意義、排出
人材や学力の近似、また学費(寄付金を含む)や学風の差異を背景にしているので
はなく、他の私大を排斥しようという暗黙の結託が働いているせいでもない。
例えば対法政大学の場合にはソーホー戦、ホーケー戦、対国学院大学の場合はソー
コク戦、コッケイ戦、青山大学ではソーセイ戦、セイケイ戦と呼ばねばならない煩
瑣を避ける為の、放送業界の内部規定のゆえである。つまり、ラジオやテレビでアナ
ウンサーによって「包茎」や「滑稽」と発音された時に、視聴者の脳裏を掠めるサブ
リミナルを懸念するわけだ。
一体、「早計」を凌ぐまでの語義の定着に何十年を要したことか。だから慶應側も
「軽装」の普及度を慮るあまり、今なおビンボー秀才の巣窟的イメージが抜けない
学舎の後塵を拝する、この不当な語順についてのクレームを差し控えるのである。
しかし発音されずとも、1文字ごとに意味を含み、時には複数の暗示的解釈が付帯
する漢字の特性上、例えば対玉川大学の場合に早玉戦、玉慶戦とまるで戦前のポルノ
を思わせる表記をせねばならない問題も一方にある。
おのれの紙面をスポーツ紙の如き品位に貶める効果しかない以上は、活字を増やす
労を厭わないのが3大新聞(毎朝讀)の常識論であろう。こうして馬鹿げた略称の
拡大は早明戦、明慶戦に至る前に自然消滅したのであった。
そうですか
間投詞。会話の間を塞ぎつつ返答としての責任性を回避する、相槌という便宜の
凡例。
相手に状況を丸々投げ返すこれを言う時、必ず人は自分のことを考えている。ある
いは何も考えていない。
早漏
男子最大の不幸※3。
ハムレットの着想はここに在ると言われており、ゆえにオフィーリアは使い途のな
いおのれの愛液で溺死する運びになっていると主張する評論家は多い。
また人間が尊んでやまない高速化に関して劣等感に苛まれる唯一の局面でもあり、
ポテンシャルの進長についてこのように無用な、苦しい内省に追いやられるのは一重
に女の鈍足のせいだとなじる向きもある。
※3改善の余地はあれ、方法論の不可逆的断絶という意味では不能より致命的である
為。
女曰く、「あなたを慰める理由を見出せない。だって遺憾は私の側に突っ込まれ
たままなんだもの」
粗相
人生の内容物の1類。主に人格の漏出物。
少ないほど良いとされるが、ゴ立派な人とアホンダラとの排出量に大差はない。ここ
で問われるのは露見する前に始末できるか否かの技術力である。
立川談志
無用な矜持を謂う。優れた才能の持ち主がしばしば自ら好んで落ちる陥穽。
伝統芸能が踏襲に立脚する限り自ずと芸術ではないにも関わらず、才や人気に恃ん
で高踏に構える誤謬の滑稽と空疎を憐れんで使う場合が多い。
実際は落語家などより歌舞伎役者にこうした手合が散見されるが、才能が非遺伝性
形質であるにも関わらず、世襲による伝承の私物化と家系衰微という更なる錯誤に
生きている為、比喩・揶揄にも値しないわけである。五代目菊五郎など芸風さえ子
孫の中に生きてはいないのだ、その時代の観客が現世に誰1人生きていないように。
表現媒体の芸術性は畢竟、脚本と演出に問われるのであり、どんな演じ手もその為
の限局的ツールに過ぎない。
恥骨
人体及び人生のデルタ地帯の基底部を成す骨。
腹腔下部臓器の脱出を2次的に防ぎ、下肢の日常動作を間接的に支えるが、この部
分が存在を主張するのは情痴(疑似生殖)の時間であり、男性の象さん(しばしば
異論あり)及びタマちゃん、女性のワニさん(しばしば異論あり)及びお豆さんの
行動力学を支持する(ゆえに仙骨部と結託して出産の大きな障害となり、思春期後
期に至った赤子の恨みを買う場合が多い)。他にはツール・ド・フランスや格闘技
に於ける反則技の行使時など。
一般に、自己確立盤石な人間を「気骨がある」と形容するのに対し、さしたる取り
柄もない人物を褒め上げる時に「恥骨がある」といった使われ方をする。
乳房
第2次性徴期を経た雌体の哺乳器官を指す。人間の場合アルファベット表記でラン
クづけされ、おおよそB〜Iまでが常識的範囲とされる。
乳児にこれを貸与すると甚だしい損壊を来す為、先進各国では実体が観念化(偶像
化)へ向かい、実質的哺乳器官としては既に伝説化している。
つまりこれは成人男子に仮想授乳することで快感のキックバックを得る、副次的性
器として位置づけされている。ないものねだりに奔走する男にディスプレイすべき
広告媒体であることは言うまでもない(女の自己認識に深く関わる乳房の叙情性に
ついては、長くなるので割愛する)。
してみればこの場合、電通や博報堂に該当するブラジャー※4が不滅なのは必ずし
も羞恥心や粉飾の為ではなく、重力と細胞老化に勝てぬ乳房の脆弱性に因るのかも
知れない。
腺組織と脂肪から成るこの部位の容積、形状は、土台たる大胸筋に与るのではない
。遺伝が主因だが何か他の、宝くじにも似た運の腑分けも感じずにはいられないの
である。後天的な栄養状態や性ホルモン分泌量も大きく関与しており、そして女性
ホルモンは骨格と筋肉の発達を阻害するのだ。女は膂力で劣るがゆえに、男の歓心
を買うことで庇護に与らなければ保身が楽でない。その際タレ乳はマイナスポイン
トになる。末枯れたお母ちゃんにはオイデュプスも手を出すまい。
尚、マリリン・モンローが形状維持の為に就寝中も電通を着用していた、その有用
性については現在否定されている。
※4前世紀、フェミニズム論理に基づき、乳房と乳首の勃興隆盛臆すべからずとい
う形而上学が提唱されたものの、スケベ野郎の視姦を惹起するだけという現実
の前にあえなく頓挫した。実際には俗世からの離脱を図ったアメリカ人TV女
優ファラ・フォーセット・メジャース(当時)の自己実現にしか役立たなかっ
たのである。
爾来、ニプレスからヌーブラまで、生理食塩水からシリコンバッグまで、隠蔽
と露出のあわいで女の苦衷は果てしがない。