かんばんむすめ
渡 ひろこ

黒ずんだ木の床にそっと頬をよせる
インクと機械油の匂いが染みついた床は
使いこまれた年月を
なめらかな感触でつたえてくる


古い印刷工場をリノベーションしたと
誰かが言ってたっけ
そのむかし松尾芭蕉も
この地をホームとしたらしい
寝そべって床の木目をかぞえながら
カフェに転身した居心地をたずねてみる


相変わらずフラットで寡黙なままだけど
ブラジルジャズのミュージシャンが
演奏するとこの木造の建物自体が振動して
ステレオのようによく響くと言っていたから
きっとそれがこたえなんだろう


コーヒーの香りにまじって
キーマカレーのスパイシーな香りがただよってきた
挽き肉を炒める芳ばしい匂い
思わずよだれが出そうで鼻がヒクヒクした


営業中はおあずけだから
そんなときはいつも
ここを訪れた人たちが落としていった
音楽や朗読のかけらをひろって食べる


ついでに窓際に積まれた
ニーチェや島崎藤村もかじりたくなったけど
カタそうなので
代わりに隅田川から流れてくる風を読んだ



昼下がり川面からの便り


天井裏からかすかな獣の匂い


店先で芭蕉の化身の蛙が跳ねた



ガラガラとすり硝子の引き戸を開けて
詩人だという女のひとがやってきた
わたしの頭を撫でて「看板娘だね」と言う
いつからそう呼ばれるのか
みんなわたしを撫でて可愛がってくれる


「でも目をるん、とつぶらにして見つめるのはママだけね」
と詩人の女のひとは笑った


そう わたしはママが大好き
いつもやさしく語りかけておやつもくれるから
だからママが迎えにくるまで
ここでいい子にしてじっと待っている



清州橋がライトアップして
隅田川に灯り
風が魚の寝息を運んでくる



ママが帰ってきた

「ポチコ、おいで」
 
 ワン!











自由詩 かんばんむすめ Copyright 渡 ひろこ 2010-02-15 21:06:32
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