耐用年数の射程距離
真島正人




名前を忘れてしまった
町を
通り過ぎて2日
私は水を汲んだ
水の中に
幾億の雨粒



唇が
だんだんと開いて言葉を発見する
発芽されたばかりの種のように
痛みに震え
戸惑いがちの唇
あなたのそれが
洪水のようにあふれる言葉を獲得するまで
あとすこしだろう



たとえ話ばかりされると
疲れると女が言って
私はその返答に困った
私はたとえ話をした覚えがないし
ただ単に主語を抜いて話していただけに過ぎないのだ
コップに半分ほど満たされていた
ソーダの泡が
ささやきを繰り返し
女がそれを口に運んだ
私は夜の静けさを激しく渇望し
そして私たちは会わなくなった



この種類の病気が
完治するまでは
およそ数年がかかるでしょう
そのことはよく
心に留めておいてください

黒板に書かれていたのは
高校1年生の夏だ
私たちはみんな病気持ちだった
青春という名前の病気
夏は大気中に満ちていて
私たちは押しつぶされそうなほど汗をかいていた



ど、れ、み、ふぁ、そ、ら、し、ど

子供の口が開く
音を発生させる
私は
音楽教室の付き添いをしていた
たどたどしい指で
女の子が
ピアノに触れると
ピアノが悲鳴を上げる
私はめまいがした
私が小さいころに大好きだったピアニストは
アルフレッド・コルトーで
それが今は
だいっ嫌いなのだ
あのミスタッチに
我慢がならない
私が今好きなのは
強靭でしなやかなアルトゥール・ルービンシュタインで、
それ自体はどうでもいいことだが

そう
何にめまいがしたかっていうと
コルトーから
ルービンシュタインへ
好みが変化するまで
20年が必要だったってことなんだ



あなた方が私を引き摺り下ろす
こんな哀れな物体に
いったい何が隠されているのか
万華鏡のような性
息を吹きかけるとすぐに癒える傷痕
私には
告辞されるべき
ものも隠すべき嘘もなにも
ない
のに



骸骨たち
骸骨たち
かわいそうな
跡形だけの獣が
集まって
ウォッカとウィスキーで
乾杯している
あぁ
よせよせ
そんなにかなしいしぐさ
かなしいそぶりは
君達じゃなく、
私の瞳が涙を流すぞ
私、
私の足は打ち震え戸惑っては
足踏みをして
そんな音は彼らには聴こえることもないんだ
だから
そっと部屋を出た
さようなら


自由詩 耐用年数の射程距離 Copyright 真島正人 2010-02-14 00:48:02
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