「詩と私」
ふるる
小学校3年生の時の担任のN先生は、子供に作文や詩を書かせることによって、考える力、生きる力をつけさせるということを提唱し、本も沢山書いている方でした。
そして、授業中やそれ以外の場所で、草野新平や八木重吉などの詩を読んで下さったり、生徒がふと思ったことや感じたことを紙に書いて箱に入れておくと、学級誌に載せてくれたりしました。
さらに、同じ小学校の音楽教師だったK先生が、合唱曲の作曲をなさっている方で、N先生が歌詞を作り、K先生がそれに曲をつけて、生徒たちに歌わせていました。生徒たちは、季節ごとの歌をいつも歌っていました。
「小鹿のようにかわいい子が春の日にやってきたんだ〜」とか
「道も、草も、青く光っているよ〜(中略)夏の朝は〜」とか
「さざんか咲いている、白い道〜(中略)焚き火を囲んで暮れる道〜」とか
なので、詩は学校生活の一部みたいな感じで・・・。他の子はどうだかわかりませんが、松尾芭蕉が好きで(芭蕉好きって・・・)、日記など書いていたもので、私は「なんちゃって詩」の投稿生活(?)にはまりました。
書けば、「うーん、よく見ててえらい!」「感じたことをそのまま言ってていい!」とか誉めてもらえるし・・・。
「夕方見た鳥の群れは、虫のようだった」「霜柱は、小人の氷のごてんの柱、氷のごてんに行きたいなあ」←こんなでも!(よく覚えてるな、自分・・。)
まあ子供を持って分かったのですが、私に限らず子供って色んなものをよく見ているなあと。
でもそれを紙に書くのと書かないのとでは、違いは大きいな、とそれは子供心にも思いました。
紙に書いて、読んでもらうと、自分にとって当たり前のことが、そうでなくなる。ある人には貴重な体験(?)だったり、ある人には面白く思われたり。そういうのがなんか面白いなあと。
そんな感じで楽しく好き勝手に書いていたのですが。
N先生は、私の代の3,4年を受け持って、次5,6年を担任した後、急逝されました。
ショック・・・・。やっと出会えた人生の師を、たった4年で失った・・・(親は人生の師として、いや友としても、当てにならないと心底わかっていたので。だってさあ・・・父親は借金残してどっかに消えちゃうし・・・母親は現実を直視できない自称お嬢様だし・・・)
それ以来、詩からは離れました。
いやいやそれよりも、母が詩を書くことを特別のように思い、私のことを自慢げに人に言ったり、書いた詩を朗読したりするので、止めました。(これ、すんごくいやだよ〜!!!うちの子はこんなに感性豊かなんですう〜って。アホか〜っ!または、ラブレターを他人に読み上げられる恥かしさっていうか・・・もう、穴掘ってくれ・・・)
再び読んだり書いたりし始めたのは、最近です。
心の傷が、やっと癒えたということでしょうか。(いや、単に忘れてただけだろう・・)
そうなんです。
あの時の、楽しい気持ちを思い出させて頂きました!現代詩フォーラムと、喫茶室こんとん(よくおじゃましています)、読んで下さっている皆様に、感謝です!
もっとまじめに書かないと、ほんとはいけないのかもしれませんが・・・。
また、N先生に誉めてもらいたいな・・・。
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