つっかえ棒
伊織

母は24歳のとき、実業家の三男である父と見合い結婚をした。
父は教養のある人間だが、商社マンにはあいにく不向きであった。
売掛金の回収が滞るとすぐに実家を頼りにして借金をし、
その金は祖母が何時の間にか一括払いをしていた。
母はひたすら頭を下げて礼を言い、
祖母に無利子で返済を行う、
この繰り返し。
程なく住宅ローンも父の収入だけでは払えなくなっていった。


   ファミコンの端子づくり

   タウン誌の配布

   学童保育の指導員

   引越し業者の受付兼作業員

   歯科助手


この間、父の借金発覚回数は実に左手の指に到達し、
離婚騒動が母方の実家から度々持ち上がるようになるが
母は必死になって抵抗した。
「この人いなかったら、どうやって私たち一家は食べていくの!」

しかし既に娘と息子は成人し、あとは職に就くだけであった。


 (おとうさんはね、人間性は素晴らしいのよ。
  ただ、借金癖があっただけで)


父に先立たれて6年、
母は赤子だった孫と床に伏せることしか出来なかった鬱病の娘、
いつまでも定職に就かぬ息子を献身的に介護することのみで存在意義を獲得していた。





やがて泣くことと這いずることしかできなかった孫は買ってきた服のセンスに難癖をつけるまでに成長し、鬱病の娘はかつて自分がそうであったように職場で必要とされ、誇らしく労働している。
息子は小さいながらもチェーン店の副店長として十数名のバイト連中を束ね、本社への会議に参加するまでになった。

母は来る日も来る日も
一日に朝食を2回、昼食を1回、夕食を1回、夜食を1回作り、
洗濯機を回し、
二日に1回風呂の掃除をし、
月に一度父の墓参りをする。


仕事は精神を牽引するが、肉体を疲弊させる。
それは年を追うごとに過大になっていき、もはや眠ることすら妨げるようになる。

 (もう疲れた、
  私は一生あなた達の奴隷なの?
  おとうさん…)



しかし母は、わたしが家事を手伝おうとすると必ず
「あら、だめねえ。」
と満面の笑みと溜息をこぼしながら
スポンジを取り上げてしまうのであった。


自由詩 つっかえ棒 Copyright 伊織 2010-02-02 21:53:48
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