「善意と悪意」〜最近思う事〜 
ペポパンプ

仕事をしていて色々な問題に出会います。
児童虐待を受けた自分が思うのですが、親でも殴ってはいけないと思います。
悪い事をしたら、口頭で厳しく叱る。
どうしてするのか、どうしたら直るのかトコトン話し合いをするべきであると思います。
自他共に危険な時や、人としてすべきでない時には、力による制圧もやむおえない。
その子の将来の為に愛情を持ってする(善意でする)体罰は他人でも許されるし、
反対に加害者の利己的な気分転換や支配感のはけ口の為の(悪意を持ってする)暴力は
決して許されるものではありません。
親に虐待されていた子供は(2000年11月以降に受けた人は(児童虐待防止法ができた年))
大きく成長した時に損害賠償ができるのです。加害者は保護者、同居人と規定されています。
慰謝料を生前及び死後遺産分与として請求できる時代になったのです。
また悪意のある言葉の暴力も許されないと思います。しかし愛情に裏打ちされた言葉で
注意するのは必要であると思います。今学校の先生でも注意できなくなっているそうです。
過剰な親がいるからだそうです。正しい情報と正しくない情報は区別をはっきりすべきで
あると思います。ダメな事はダメとはっきり言わないといけません。
表面の上辺だけの取り繕いは、将来その子を不幸にします。
どんな人でも完璧に全てに正しい行為をすることはできません。
失敗を怖れていては何もできなくなってしまいます。
波風を立てずに毎日を過している人は成長がありません。
大過ないつつが無い人生はつまらない人生です。
波乱万丈の人生は素晴らしい人生だと思います。
私自身は「やらぬより やって負けよう 我が人生」と思っています。
失敗や間違いや怪我や事故を起こしても善意からした事は、誰からも許されます。
神からも救われます。天国へ行けます。
悪意で持って行った時には人はその罪を一生背負って生きる事になります。
また神によって罰せられ、悪しき者は滅びます。
誰も過去を背負って人生を歩んでます。
正しいものは強い、悪しき者は弱い。弱いものは自分がないので人に噛み付いてきます。
自分を持っていないからです。
群れて集団行動をするものは弱い者です。
もっと個性を大切にすべきであります。それが人間を大切にする事となります。
自立とは身体的自立、経済的自立ではないそうです。
社会的自立(自己選択、自己決定、自己責任)ができることが最も大切だといいます。



散文(批評随筆小説等) 「善意と悪意」〜最近思う事〜  Copyright ペポパンプ 2010-02-02 20:07:10
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