認識よりも深い「青」(詩論序説ノート)
まどろむ海月


 酸の濃度にしか反応しない微生物がいるそうです。彼には、光も音も存在せず、酸の濃度だけで世界を構成しているわけです。
 人間が色光としてとらえている部分は全電磁波領域の10分の1程度に過ぎず、ミツバチが見ている紫外線も、蛇が見ている(?)赤外線も、人間には見ることはできません。
 ニュートンは、「青い光、赤い光、などと言うべきではない。人間に、青、赤、の感覚を起こさせる光、と言うべきだ。」というように言っています。偉大な科学者は、形而上学の視点も持っているのですね。私たちが先天的に持っているこの感覚。それにしてもなぜ青なのか、この青って感覚そのものはいったい何なのか。尽きることのない謎に、私たちの日常は包まれているのです。
 もう10年以上前から、青とは何か、赤とは何か、という謎が、世界観を根底から覆す深さがある、解き得ない衝撃的な謎であることを、わかりやすくどう表現したらよいのかを悩み続けています。(これが表現できれば、ありふれた日常の、ありふれていることそのものに、永遠の深さの相貌を与えることができるはずだからです。フェルメールの絵のような。)

 知性・認識力による強大な力を利用して、人間はこの地球に君臨しました。しかし、私たちは何を認識できているというのでしょうか。この手のひらの上の一瞬の自然にさえ認識不可能な無限の事実があります。皮膚や血管の状態や赤血球の流れ、種々のタンパク質や細菌の数や変化、すべての分子や原子の位置や動きetc。
 人間には、たとえば、仮に「青」と名付けられているこの生来のアプリオリな感覚とは何なのかさえ、分かりえません。もちろん五感のすべて、すべての色も味も音も匂いも触感も、物を形として捉えることも、つまりすべての認識の土台も枠組みもなぜ認識が成り立つのかもそもそも認識とは何かさえ、わかりえません。そして、感情も愛も。
 カントは、こういうことに思い至った人です。そして矮小な人間の、認識のむこうに認識しえない物自体を、認識の根拠であるアプリオリな能力の由来に神の存在を、発想したのでした。

 フッサールは、その不可能な発想(不可知論)を止揚し放棄しました。重きを置くべきは、この私とともに現前する現象ではないか。
 大学でフッサールを学んだときは、カントとの本質的な違いがよく理解できていなかったのですが、その後メルロポンティを読むことを経て、コペルニクス的転回と言えるほどの違いに気付かされたのでした。
 カントの時代なら、知的認識ができる理性的存在である人間は、神に最も近い上位の存在なのだと考えたでしょう。その時代よりもさらに頭でっかちになってしまった現代に生きる私は、重点の置き方を180度転換して、身体性や感覚や感情の存在自体の、つまり生自体の、ありふれた日常の土台そのものの、無限の深さと重さ・かけがえのなさをわかりやすく表現したいのです。(知よりも認識よりも深いそれの存在ゆえに、知や認識力の別の視点からの深さも見えてきます。)別にポストモダニズムを振り回したいわけではありません。もっと切実な欲求です。
 例えば一つ、青とは何か という謎が、世界観を根底から覆す深さがある、解き得ない衝撃的な謎であることが本当に分かれば、詩作に身命を尽くすとか、仕事のために過労死するとか、何事についてもヒエラルキーをつけたがる傾向とか、そういうことのくだらなさも自然にはっきりと見えてくるはずだとも思っています。くだらないことに振り回されざるを得ない状況を、常に相対化し得る視点は持てると思うのです。

 自分を振り回す日常の視点を相対化して、現前する世界そのもののかけがえのない永遠性・不可思議性を開示するために、言語・記号の在り方をずらして既視性を揺さぶるという現代詩人としての方法があります。私自身も使用します。
 このような散文による理性的・分析的・解体的な表現とはちがって、生の総合的な力を直接的に反映しうる表現でもありうる詩は、生きることの日常にありふれたものの深さを見つめなおすことの方法でありうることが、いつも最も大切なことなのだろうと思うのです。仮にも詩を、マッチョな発想によるヒエラルキーを構成するための手段に、堕させてはなりませんし、自由で無限に豊饒なものであり得る自己の生を、独自な詩作という幻想の檻に自縄自縛的に閉じ込めてしまわない方がよいだろうとも思うのです。
 詩に身命をかけるよりも、生きることはもっと大切で、かけがえがないと。




  「世界は 魔法に満ち充ちて 不思議」



赤が 赤く見えること
青が 青く見えること
それが不思議 だから それは魔法

花が 雪が 光のきらめきが 夕焼けが あの人が 
美しく見えること
それが不思議 だから それは魔法

陽だまりが そよ風が せせらぎが 鳥たちのさえずりが まどろみが
気持ちよく感じられて
それが不思議 だから それは魔法

果物は甘く 海は辛く 水も 食べ物も 美味しくて
なんてすてきだろう
それが不思議 だから それも魔法

あの人と出会い あの人と愛しあい あの人と一緒に歩く
幸せでたまらなくて
それが不思議 だから それもやっぱり魔法

世界は 魔法に満ち充ちて 不思議
生の 日々は 疑いもなく 
偉大な魔法によって
支えられている







                
                   05/10/14







散文(批評随筆小説等) 認識よりも深い「青」(詩論序説ノート) Copyright まどろむ海月 2010-01-31 01:53:13
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