というわけで、今回もまた大好きな馬野幹について語りたいと思うのです。
『ラストオナニー』馬野幹
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何かが終わるとき、人はなぜかやさしい気持ちになるものです。
卒業だったり、退職だったり、年末だったり、死だったり。
ほかにもいろいろ、ね(時にはやさしい気持ちになれない終わりもあったりしますけどね)。
どうしてなんだろうね。
終わる、ということによってもたらされるカタルシスがそうさせるのかな。
それとも宗教的な「赦し」の感覚に近い何か、かな。
この『ラストオナニー』という作品は、そういうやさしさに満ちているよね。
終わりに向かって減速しつつ、すべてを脱ぎ捨てながら搔き消えていくような、やさしさ。
こんなに美しく、やさしい詩が、この世にあといくつ存在するだろう。
この作品に限らず、馬野幹の作品は意外にも(意外じゃないか、ごめんね)やさしさに満ちている。
『夜勤明けのガードマンへ』とか、
みんなが大好きな(笑)『金(キム)』なんかも、
そこには無条件で全身で抱きしめてくれるようなやさしさがある。
やさしいなあ。そして美しいなあ。
でもさ、馬野幹がほんとうにみんなに叩きつけたいのは、
きっとこういうことなんだと思う。
社会人になるとなかなか面とむかってあほとは言われなくなるでしょう
だが俺は君に言おう
うすうす気づいているだろう
君はあほだ
そうさ。
詩を書くなんて、あほのすることなんだよ。
そしてきっと馬野幹に言わせれば、それを批評するなんてのは、最上級のあほなんだろうな。
素敵だ。
※文中、敬称略。
※文中の引用は、馬野幹『グリーングラス』より。