『批評祭参加作品』いとう氏へのレスポンス
ダーザイン

 ネット詩などという死後は活字媒体のインターネットが使えない一部の老人たちだけが使う言葉であり、私はネット詩などという意味不明の言葉はもう随分前から一切使わなくなっている。ネット以外のどこに活きの良い詩があるというのか? 老人権力に媚び諂い一私企業にすぎない思潮社の引いた老人ホーム行きのレールに乗る輩は芸術家じゃない。現代詩手帖の発行部数を考えてみるべきだ。思潮社から著者自腹で発行される詩集の発行部数は五百部だ。そんなもの、この情報社会でシェアされていない。存在しないも同然だ。ゼロ年代の詩人という言葉があるが、あそこには本物の現代詩人はほとんどいない。
 携帯から世界に接続し始める中高生の目に真っ先にとまる詩は月刊未詳24の吉田群青さんの詩だろう。谷川俊太郎の詩など一つも読んだことが無い彼らが無学だと考えるのはおかしい。シェアされていない情報は、存在しないと同じことなのだ。パソコンを使う世代はすぐに文学極道創造大賞を見つけるだろう。創造大賞受賞者の凄さと比して、H氏賞受賞者の名前を言ってみるとする。ほとんどすべての者が「そいつ誰? そんな奴知らねえ」と応えるだろう。
 何故そういうことになるか。ネットに出てこない老人とそれに媚び諂う若年寄たちは、物凄く内閉した発行少部数のおもちゃの城で瞞着しているからだ。

 では、本物の現代詩人はどこにいるのか? 文学極道などのワイヤードメディアにいる。情報が無限にシェアされる地平に人様に読まれるべき現代性を担った書き手は姿を現す。

 ネットの情報は儚い、継続性が無い、流れ去っていくものだというが、そのようなことは文学極道でも月刊未詳24でもまったくない。文学極道では落選作ですら含むすべての投稿作品にパーマネントurlが与えられ、永遠に視聴可能である。可読性の高さに於いてもパラダイムの巨大な転換が起こったのだ。

 歳をとったと嘆く前に、現実に即した詩壇を作らなければならない。文学極道創造大賞受賞者にマスコミから執筆依頼が来るまっとうな世の中になるまで、俺たちは本物の現代詩を守り、見守り続けなければならない。それが、事を起こした人間の責任だ。


散文(批評随筆小説等) 『批評祭参加作品』いとう氏へのレスポンス Copyright ダーザイン 2010-01-13 21:08:35縦
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第4回批評祭参加作品