【批評祭参加作品】権威と小波
atsuchan69

 そもそも我国において権威ある詩壇というものが存在するのだろうか? ひどく気になる。

 きわめて発行部数の少ない「詩」の商業誌も複数あるようだが、そのどれをとっても「権威ある詩壇」というのには程遠い、と思うのは果たして私だけだろうか?

 詩、そのものに無知な私があえて語るのも全くもって幼稚だと思うが、国体を維持/あるいは破壊するための権力装置としての各ジャンル・・・・。その片隅に「詩壇」も当然ある筈で、既得権益を温存したい社会的集団にとって個々の名もなき詩人(カオス)を無視するという権力者の傀儡である秩序/「詩壇」。

 ――いや、そんなものが果たして存在するのだろうか?

 別の見方をすれば、秩序/「詩壇」とは「既得権益を温存したい社会的集団」にとって都合のよい工作員(アジテーター)であるにちがいない筈なのだが、そういうものを――今のところ――私は皆目知らない。

 もしも権威ある詩壇というものがこの世に存在するというなら、おそらくきっと神々の座に就いた秩序/「詩人」の名は、さぞかし広く世間に知れわたっていることだろう。(無知な私は、テレビアニメ・鉄腕アトムの歌詞を書いた谷川俊太郎と、テレビアニメ・あしたのジョーの歌詞を書いた寺山修司と、なぜか個人的なしょぼい理由で新川和江しか知らない)

 純粋に、彼ら――秩序/「詩人」の役割とは、「詩壇」の維持(保身)であり、雨後の筍のごとく現れるカオス/「名もなき詩人」たちの黙殺である。

 と、書いてしまった。が、こんなもん、ぜんぶデタラメであり、あくまで仮定の戯言だと言っておこう。
 
 では、ここは現実的に・・・・自分自身を鏡の前でじっと見つめて――「名もなき詩人」たちの作品は、底なしの泥沼にただ埋もれてしまうのだろうか? ――と、いう哀れな問いかけをしてみよう。

 おそらくは、あなたは余命一ヶ月です。と、宣告されるに等しい(みたいに)。

 おそらくは、あなたのことはキライではありませんが、けして恋人にはなれません。と、大好きになってしまった片思いの人に交際を断られるに等しい(みたいに)。

 そう、一抹の望みもなく、全くその通りであるにちがいない。

 それでも、溺れる者が縋りつく藁のごとき詩壇が存在するというなら、たぶん「名もなき詩人」の居場所は、秩序/「詩人」の死者の数だけ空いているのかも知れない。

 もしも権威ある詩壇というものが本当にこの世に存在するというなら、いっそ黙殺されるよりカオス/「名もなき詩人」たちがこぞって権力の側にまわるというのも妙案だ。

 カオス/「名もなき詩人」から、秩序/「詩人」へ至る道のりは様々ではあるが、各界同様に以下の事柄が挙げられる。――

  ?「既得権益を温存したい社会的集団」からの直接的な推薦。
  ?「既得権益を温存したい社会的集団」傘下にある広告代理店等の働きかけ。
  ?秩序/「詩人」との激しく、淫らな肉体的関係。
  ?秩序/「詩人」への金銭授与も含んだ献身的従事。

 因みに、文学賞は金で買える。私は、断じてそう信じて疑わない。(笑)

 だがしかし、そもそも「詩」とは何なのだ。
 いったい詩人(という職業?)は、ちゃんと金儲けになるのだろうか?

 アタマの悪い私には、よくわからない。

 そこで煉瓦造りの古く寂びれたチャペルへ行き、かよわい冬の光のなかで一人、お祈りをした。するとなんだか眠くなり、いつしか夢うつつに天使たちの飛び交う雲の間に間に、あふれ滲む陽光がつよく虹色にかがやくのを見た。

 そして雷鳴にも似た轟きが遙か上空で響いたかと思うと、いやそれは耳にはよく聞きとれぬほど力強いノイズの雑じった人の声だった。轟く声は、こう言った。
 ――詩とは、あなたがたの憎むべき金銭の対義語である。

 そして虚しくも、ふりだしに戻る。・・・・我国において一般的にアカデミックであると認められる神々の住まう「詩壇」は存在するのだろうか? 

 安室奈美恵、木村拓哉らの国民的大スターに匹敵する詩人はいるのか?
 AKB48、GIRL NEXT DOOR、ICONIQ×ATSUSHIのメンバーたちみたいにパワー全開の詩人はいるのか? 

 そんな凄いやつ、現れたら・・・・きっとまた「既得権益を温存したい社会的集団」という、さもしい権力者の傀儡に抹殺されちゃうのかもしれない。というか、詩壇にそんな凄いやつが現れたって世間一般のごくフツーの人たちにとってはゼンゼン関係ないだろうが。(汗)

 元来、詩人ってのは、派手に目立つべき存在ではない。だからこそ、かえってそこがカッコイイともいえる。
 とことん、カオス/「名もなき詩人」であるこの私も、一滴の水が小さな波紋をつくるように、今後もぽつん、ぽつんと詩のようなものを書きつづけよう。

 やがて私が滅びても、数多の名もなき詩人たちは虚空にむなしく、それでも表現すべき何かがあるかぎり、永劫に向けてきっと詩のようなものを細々と書きつづけるのだ。それは私たちの憎むべき金銭の対義語である――生きている、そのこと自体の・・・・煌く、た、た、たどたどしい言葉の羅列である。

 それらが後世に記録されるべき価値を持つか否かは、さして重要な事柄ではない。
 言葉を紡ぐ・・・・いや、それ以前に「言葉を発する行為」そのものが、権力へのレジスタンスとして十分に機能するものなのだから。



  ――追記。
 

 さて、詩人たちが対峙するものとは、いったい何であろうか?
 
 詩において表現者のまえに峙つのは、多くの一般的読者なのだろうか? 

 否。――詩人(ジェダイ)が対峙するものとは、銀河に果てしなく拡がるダークフォース・・・・憎むべき永劫の他者、虚無そのものである。

 その輝ける闇のまえでは、きっと誰もが名もなき詩人たちなのだ。
 


散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】権威と小波 Copyright atsuchan69 2010-01-13 12:45:46
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