わたしたちの全ての透明
ねことら



無防備な機械が肩口からのぞいているので、見ていると胸を締め付けられる気がする。きみは突堤にちんまりと立ち、用途不明の其の羽を気持ちよく海陸風になびかせている。明けがたの水平線は紫とダークレッドで輪郭を食み合い、すこしずつ砕かれ、音の凍りを波にかすかに散らし、この岸辺へとどけていた。二人以外に誰もいない(ここだけ風が凪いでるみたいだ)。きみはつっと足を止め、使い古したトートバッグを邪険にまさぐってデジタルカメラを取り出し、ゆっくり海に向かって構えた。まるでせかいの心臓めがけて、射撃手が狙いを定めるように。




わたしたちは、歯車の回転、歯車の回転、と異口同音に唱えながら、手際良く所定のドリルを片づけていく。大きな流れに頭まで沈積し、歯車の回転、歯車の回転、とわたしもやっつけていたのだが、いつのまにかすこしずつ弾かれて弾かれて浮き上がって、周りを見渡すときみも困ったような顔でこちらを見ていた。つまりはそういうことだった。オブラートに幾重に包まれても痛みは痛みでしかないのなら、ようやく信号しあえる単位として自分たちを扱ってあげたかった。もっとも、わたしたちは底辺にあることを積極的に肯定したがっていたし、その点で救いのないのがよかった。きみといれば心地よかった。それで、いいと思う。




きみはどれくらいそうしていたのか、やがてふっと腕をおろし、カメラを埋葬するようにバッグに放り込んで、ぎこちないバランスで突堤のうえのサーカスを再開した。「目を閉じても、このまままっすぐいけるよ。」きみは一足ごとにふりかえり、ふりかえり、わたしとの等間隔をたしかめながら、気楽なひかりのなかで笑っていた。




いまは、透明な朝の足音のなかにいる。そんな気がする。






自由詩 わたしたちの全ての透明 Copyright ねことら 2010-01-13 00:35:56
notebook Home 戻る