彼と私
敬語
「睡魔のように、食欲のように、定期的に絶え間無く襲ってくる殺人意欲の抑え方を僕はよく知らない」
初めて出会ったときに言われた彼の、冗談にしか取れない戯言が、本当は言葉以上の重みを持っていたのに、私は気が付いていた。
「初めはただの好奇心だった。だけど、次第にそれは欲望へと変わり、今では僕の義務ようになってしまった」
そう悲しげに話す彼の、私を見詰めるときの瞳の奥で、時折その“義務”が顔を覗かせているのに、私は気が付いていた。
「今はどうにか押さえ込んではいるんだけど、もう僕の手には負えないところまできている」
視線を真下に落とし、悲鳴に近い声でそう呟いた彼の、胸の前で器用に絡み合った手が、小刻みに震えているのに、私は気が付いていた。
「もう、どうしようもないんだ。僕ではどうしようもない。頼む、僕を助けてくれ」
赤く目を腫らし、上擦った声で懇願する彼の、私の肩を掴む指に、常人離れした力を込められているのに、私は気が付いていた。
だけど私は、彼に何もしてあげることは出来なかった。
そう。助けてあげることも、支えてあげることさえも。
悲しさよりも虚しさよりも、ただ後悔だけが私の中に残る。
だけど私は、彼に何もしてあげることは出来ない。
だって、私はもう死んでいるのだから。
他ならぬ彼の手で、私は殺されていたのだから。
「ねぇ、聞いているのかい?聞こえているなら、頼むから目を開けてくれ」
永遠に瞼を開くことのない私に、永遠に私が死んでいるのに気付くことのない彼は、永遠に終わることない苦悩を話し続ける。
私に助けを求めて。
私に救いを求めて。
だけど私は、彼に何もしてあげることは出来ない。
永遠に。