坂の上には雲がある
yo-yo

むかしむかし と始めると
日本昔話になってしまいそうだが
古い話を始めないと
新しい物語も 始まらないのかもしれない
いつのまにか それだけ古いものを
背中にいっぱい背負ってしまった
はあはあと 息を切らしながら坂を上る
新しいものなど なかなか見えてはこない
見えてはこないから
ふたたび むかしむかしと始めると
この辺りには 小さな山があった
いつしか山は削られ まちになった
山の古いかたちが残ったので
新しいまちは 坂道の多いまちになった
ぼくは古い山の中腹に住んでいる
新しいまちの 坂の途中に棲息している
上ろうか下ろうかと 中途半端でまいにち迷っている
坂を上ると未来がある
坂を下ると過去がある
そんなことを考える日もある
坂の上には駅とスーパーがある
新しい一日は そこから始まるような気がしている
だが 何かが始まりそうで何も始まらない
坂の上には何かがある そして何もない
坂の下には 古い神社と集落と田んぼがある
新しい年を迎えるため 古い神社に参る
ときには 坂の下にも新しいものがあるのだ
境内では老木が燃やされている
炎は懐かしく 煙は神のように空へと立ちのぼる
古代人たちは 火の文字に明日を読んだ
むかしむかしの 古い古い書物に
この辺りは 茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら)と書かれる
ちぬのあがたとは 古い大阪のことで
大阪湾のことを 茅淳(ちぬ)の海と呼んだという
海には チヌという魚がたくさん泳いでいたのだ
ぼくもかつて夜の海で 恋するようにチヌを追った
だが鯛のようなその魚は 恋人のようにつれなかった
歓喜するデートは 数えるほどしかなく 
いつしか チヌの海は遠くなった
むかしむかし の話はつづく
茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら)の
陶邑(すえむら)とは 陶器(須恵器)を焼く村のこと
毎朝ぼくは 石段を上ってウォーキングをする
その脇の斜面に 古代の窯跡がある
かつて 須恵器を焼く煙が立ちのぼっていたという
近くには 陶器山という山があり 陶器川という川がある
ぼくは石段を上って 縄文のドングリをひろい
薪をあつめて 弥生人のふりをしてみる
新しい一日は いつも古い一日から始まる
少年の日 父とふたり
近くの山で赤土を掘ったことがある
金木犀の庭をつぶして
父は土をこね かまどを作った
その頃の父は強くて恐ろしく まだ弥生人だった
かまどの薪をうまく燃せないぼくは
泣きながら穴倉をとび出した
あれが父との たったいちどの共同作業だったかもしれない
いまでは かまどの家も父も 古い一日となった
元日というものが 新しい一日だとしたら
どんな新しいことが始まるのだろう
いくつ元日というものを重ねても
ふたたび新しいものを求めてしまう
手水で手を清め 口をすすぎ
二拝二柏手一拝して 迷いながら願いごとをする
古くて新しい坂道を上って
やっと家に辿りつくと そのままダウンしてうたた寝
暮れの疲れに 夢の節々を責められる
急(せ)いて急(せ)きまへん と大阪人はよく口にする
急きまへんと言いながら急かしているのだ
なぜそんなに急ぐのかわからない
急げばミスが起きる まちがいは直さねばならない
直せば直すほど 急いだことが無駄になる
ああ 古い夢は早くすてたい
夢から覚めても まだ元日だった
年賀状というものを思い出してポストを覗いた
葉書の束は年々薄くなる
表も裏も古くさい活字 古い賀状ばかりだ
松竹梅ももう古い 葉書も人も古い顔をしている
新年とは ほんとに新しい年なのか
この寒さだけが新しい
ぱらぱらと降る雪と 耳を切るこがらしだけが新しい
寒さに震えている体が新しい
むかしむかし 
寒いといって ひとは泣いただろうか
寒いといって 抱き合っただろうか
そんな記憶をかすかにたどる
いまは 坂のあるまちに住んでいる
せっせと坂道を上ると 体はあたたまる
それが唯一 坂の効用だ
坂の上には雲がある
雲は煙に似ている





自由詩 坂の上には雲がある Copyright yo-yo 2010-01-03 07:57:21
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