当たり前のことを忘れないために 走り書きメモ
結城 森士
ものごとを客観的に捉える時、「絶対」は存在しない。客観性というのは事実をもとにして考える視点なのだから、主観的な発想は極力削除すべきなのだ。ものごとは流動的であり、定まったものや確かなものは何一つない。「絶対」とか、「正しい」とか「間違い」という、固定的な観念は客観的な現実世界には存在しないのだ。
ただし人間はそもそも主観的で、個々に様々な感情や価値観を持っている。誰しもが「好き・嫌い」の判断基準を持っていて、「好き」か「嫌い」かで物事を判断しがちだ。これは当たり前のことであり、決しておかしなことではない。
人が生きていく上で、善悪を図るための一本の物差しが必要である。その人自身が何をどう考え、どう行動するか。何を許し、何を許さないのか。その判断基準となる、一本の軸こそが、主観によって育まれていく。
それを持って、自分の内面によってのみ、「善・悪」を判断していくべきなのだ。
・客観的事実の世界には、「善・悪」は存在しない。
・主観的価値観の中にのみ、「善・悪」が存在する。
「善・悪」というのは「自分なりの答え」である。
最近の若者には、「すぐに答えを求める」風潮があるという。彼らにとっては、ものごとの結果や結論こそが大切なのであり、「答えを出す過程」は不要なのだ。
主観的価値観の中の「善・悪」は、感情に振り回されるべきではない。主観的価値観の中の「善・悪」は、あくまでも客観的に考え抜いた上での「最終的な結論」として存在すべきであり、「考え抜くこと」こそがその人の本質なのだ。
世の中はゲームじゃない。表面的な勝ち負けにこだわって、本質を見失ってはいけない。
「なぜ善で、なぜ悪なのか」
そこを考えずして「善・悪」の結論を出す人は、それこそ騙されやすい、愚かな人のやることである。
すぐに「これは良い、これは悪い」と言うな。
すぐに、ものごとを自分の尺度で判断するな。
すぐに自分の好き嫌いを語るのはやめろ。
大きい視野を持て。
客観的に物事を見つめる視点を持て。
「良い、悪い」「正しい・間違っている」「綺麗・汚い」「可愛い・ブス」「1・0」「白・黒」…現実は、こんな安易な二元論で論じる世界じゃない。もっと流動的で、もっと多角的で、複雑で、いつまでたっても結論にたどりつけないような奥深さを持っていて…、僕達はもっと謙虚にならなくてはならない。安易に答えを出して頭の良い切れ者を演じるのは愚かだ。世の中を上手く立ち回ることが良いだなんて、そんな目先のことを考えているだけでは、あらゆる崩壊を招くだけである。
視野を広げろ。全ての事象が留まってはいない。全て動きながら、流れている。その度に形を変えながら。だから、決まりきった答えを述べるのはやめろ。用意された答えはいらない。現実から判断しろ。
全て、物事は移り変わっていくものだ。
確かなものなど何もない。
答えなんてどこにもない。
社会が押し付けた価値観に染まるのはもうおしまいにしよう。
社会は、流れ行くものを、留まっているように見せることしか考えていないのだ。