選択と削除
結城 森士
何かを選択をするということは何かを捨てることだ。そして、生きるということは他の生命を奪うことだ。何度同じことを考えてきただろう。ずっと、このことを考えている。
選択することができなかった。何も捨てることは出来ないし、誰かを切り捨てることも出来ない。もしも生きるために鳥を殺せと言われたとしても、到底出来ないだろう。蚊に刺されても、殺すことさえ出来ないのだから。
なのに、料理された肉を食べ、その肉を(かつて生命だったものを)生命と思うこともなく食べて、そして惰性で生きているのだ。それがどんなに失礼なことか。
「お前が無駄に過ごした今日は昨日死んだ誰かが生きたかった明日だ」
本当はただ、楽しいお祭りをしたいだけなのだ。
誰を苛むことなく、誰も悲しむことなく
誰もが誰かを気遣い、何か不都合があれば皆で協力し
何か悲しい出来事があれば、皆で悩み、それぞれに考え
現実を忘れることなく、夢におぼれることなく、建設的に、合理的に
それでいて開放的に、人のために理性を働かせ、
みんなが笑顔になれるといい。
悲しみを共有できれば良い。
出来るわけがない。笑えばいい。
僕が子供だった時、共感してくれる人はもっといたと思うのに。
自分の将来を考えた時、僕の未来はこう言う。生きるなら、選択しろ、消去しろ、整理しろ、捨てろ、排除しろ、戦え…。何かを捨てて、何かを生み出せ。奴らは、変化を求めているのだ。
でも、よく耳を澄ましてほしい。奴らの言っている内容を突き詰めてみてほしい。彼らはこういっているのだ。
生きるなら、殺せ。
生きるなら、選択しろ。
選択しないのなら、死ね。
僕らはただ、楽しいお祭りをしたいだけだったのに。