どこにも残らないのにみんなそのことを覚えている
ホロウ・シカエルボク
窓の向こうに雪が降り始めているのが判る
僕は愕然としてひとりだ
吹き始めた風が激しい声を上げて
まるで誰かを責め立てているかのようだ
数十分前に電話機が一度だけちりんと音を立てて
部屋の中はそれきり沈黙しているというのに
読みかけた詩集はとあるセンテンスでつっかえて
栞を挿んで机の上に投げ出したままになってる
音楽はずっと続いているけど
今流れているのが誰の曲かなんて判るほど
熱心には耳を傾けていない
数時間前に飲んだ紅茶のカップ
底に少し残したままで寂しそうにしている
壁に掛けた時計には秒針がないので
時の過ぎゆくさまは漠然としか理解できない
窓の向こうに雪が降り始めているのが判る
訪ねてくる誰かがいるのなら心配もするけれど
あいにく予定という予定がこのところ入った記憶がない
届いたっきり忘れてた手紙の封を開けて
なにが書いてあるのか確かめてみたけれど
僕に関係のありそうな事柄はひとつとしてなかった
全部僕の名前に届いているのに
それもおかしなことだなぁなんて思わないこともないけど
みて、きれいねと上の方から声が聞こえる
女の声の甘さから多分恋人同士が
窓を開けて雪を眺めているのだと判る
彼らは幸せなのだ
それがなぜかは僕には判らないけれど
彼らの声はすぐに聞こえなくなった
寒くなったのか
あるいはよりいっそう燃え上がったのかも
紅茶のカップを洗ってあげようかという気持ちになったけれど
腰を上げるのにはもうひとつ何か決定的なきっかけが欲しかった
詩集を取り上げてもう一度読もうかとも考えたけど
途中から詩を読むということをまだ頭が許さなかった
多分僕は気分に左右されすぎるのだ
去年の今頃には恋人がいたのだが
今年の春に彼女は僕の恋人ではないものになってしまった
窓の向こうで雪が降り続いている
雪というのは不思議なものだ
どこにも残らないのにみんなそのことを覚えている