『かえるのこ』
東雲 李葉
国語の時間にはきれいな言葉を集めていた。 
先の先のページまで読んでノートにたくさん、たくさん書いた。 
すると後ろの女の子たちが、 
「ねぇ、ねぇ、何書いてるの」って、おさげを引っ張って笑うから。 
「弔いの言葉よ」って、 
喉の奥でつぶやいた。 
※ 
算数の時間は、あとどれくらいで終わるのか。 
授業とか、学校とか、10代とか、人生とか、 
とにかくいろいろ逆算するのが好きだった。 
あとは誰も知らない生年月日を、 
足したり、掛けたり、引いたり、割ったり。 
自分につながる数字ってなんだか特別な気がしてた。 
※ 
社会の時間は年号よりも、 
死んでいった人の数が気がかりで、気になって、 
一人一人の一生に思いをはせては涙した。 
「平等」の精神を訴えていた誰かさんは、 
たぶん心がきれいだから、 
私みたいな子がいるだなんて思わなかったのね。 
※ 
理科の時間。教師に、人間の細胞の数を尋ねられて、 
「60兆個です」と、当たり前に答えたら、 
「気持ち悪い」 
と、後ろの席の女の子たちが笑っていた。 
なにが、なにが。 
当たり前に知っていることだろう。 
だけどこんなに、言葉も見つからないくらいにすごいことなのに。 
なにが、なにが、 
60兆のうちのどの部分が、 
彼女らにそんな感情を与えているんだ。 
席に着くまでの間、そんなことを考えてたら、 
隣の男子が、 
「お前はいくつか足りてないかもな」と、 
私に。私に言った。 
お前には、生命の神秘を学ぶ資格は無いと、 
叫んでやりたかったのに。 
やりたかったのに。 
聞こえないふりをして蛙の解剖図を眺めていた。 
※ 
私はきっと実験用の蛙みたいに。 
恥ずかしいところも痛いところも関係なくかっ割かれて晒されているのだ。 
鳴いたらきっともっと嫌われるから、 
我慢して我慢して無抵抗で刻まれるんだ。 
※ 
「大人しい子」と、通信簿の文は決まっていた。 
お母さんはもう見向きもしなかった。 
私はこどもらしくないこどもで、 
周りの「らしい」こどもたちがこどもながらに大嫌いだった。 
※ 
帰り道、雨が降って濡れて帰った。 
蛙はげこげこ泣いていた。 
きれいな言葉も、予定の寿命も、 
名も知らぬ人も、メスの手順も、 
全部忘れて泣いていた。 
60兆は知らん顔でしょっぱい水を飲んでいた。
 
