存在しない3つのことについてのメモ
結城 森士


これは思いついたことを忘れないために記したメモです。ここに書かれている主張は、あくまでも書き手の思い込みに過ぎません。飛躍した主張などが多々含まれます。そこには具体的な説明や、主張を裏付ける確かなものは書かれていないと思ってください。





1、「絶対」は存在しない。

 「絶対」というものはこの世には存在しない。あるのは「相対」だけだ。

 正確に言えば、「絶対」は、概念に過ぎない。概念でしか有り得ない。
「絶対」とは、「言語・言葉」によって二次的に生み出された概念である。
それらは、人間がランガージュによって、定義・規定したものである。
本来、何かと比較することによってしか、物事を推し量れなかった。
しかし、「言葉」という「規定するもの」を手に入れたとき、「絶対」という概念が生まれた。
しかし、「絶対」は概念上の産物に過ぎない。
本質は、相対することでしか見出せず、「絶対的な何か」はこの世には存在しない。
 


2、「時間」は存在しない

 「時間」はこの世には存在しない。あるのは「状態(誕生・成長・腐敗)」だけだ。(もしくは、さっきよりも太陽が昇った、さっきよりも明るい、いつもより暖かい、など…。)
  
 正確に言えば、「時間」は概念に過ぎない。
 こうした、比較・対照による「相対化」によってのみ、変化を感じることが出来た。
「絶対的な何か」が存在しない以上、「全ての存在するモノは変化し続けている」。
 状態は常に変化し続けているのだ。

 時間という概念は存在しない。ただ、全てのものが変化し続けているだけだ。



3、「真実」は存在しない

 「真実」はこの世に存在しない。あるのは、「結論」だけだ。
 また、本当の意味での「客観」はこの世に存在しない。あるのは、「主観」だけだ。もちろん、「客観的/客観性」は存在する。

 正確に言えば、「真実」は、「相対」によって割り出していった最終的な結論でしかない。
 「客観」とは、「主観」に対する二次的な概念である。「事実に基づき、論理的に考え出したもの」が客観である。
 しかし、「絶対」が存在しないように、事実は事象の積み重ねによって成り立っているので、「一面的な事実」など存在しない。
 ならば、「事実(だと思われること)に基づき、論理的に考えた(つもりの)もの」ということになり、それは要するに主観のことである。

 「事実」には、数学のような「答え」などない。
 そして「絶対」が無い以上、「真実」などない。
  
 限りなく真実に近い何かを、相対的に模索していくしかない。指数関数のグラフが、何処まで行っても決して0にならないように、何処まで模索しても「真実」にはたどり着かない。何処まで行っても「答え」はない。結局は主観から抜け出せないのだ。


散文(批評随筆小説等) 存在しない3つのことについてのメモ Copyright 結城 森士 2009-11-30 02:18:59
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