冬の宿る
月乃助
今日 午后の空は、
秋をきびしく拒絶していました。
その審判は、言葉や法則でなく、
まして、表象された風景などでも
なかった。
許しはしないと、
風や雲の粒子さえ行き場を失って
戦慄は、白く波立つ海峡の
わずかな隙間へさえもすべりこませぬ
かたくなさ、
誰もが楽しんでいた
旧套の秋を笑いながら、
もうすでに冬は、少しばかりの用心さをもって
街のあちこちに散在しはじめています。
【when】 しっかりと閉じ込められた
窓ガラスを曇らす部屋のあたたかさに、
【where】 身を削り落としたようなカエデの枝の先から落ちる
雨の冷たいしずくが、見つめていたり
【who】 街角をあるいて行く
イヌのといきの白さが、おきざりにされ、
【how】 密な等高線をすすめるように西の海から
陰鬱な冬雲は、徐々に浸蝕を始めています。
すでに、妥協しない次の季節がもうそこへ立っているのを
とまどわずに見つめるだけ、
それを認知する瞳のまたたきは、わずかばかりの電流のいざないから
秋の残る中心のその奥深くに生まれた冬は、
受け入れた光を反射し
眼球の表層へと出口を求めるように
光速の中をすすみ出ては、
それが法則であるように移行する想い。
逝く季節への感傷とあらたな行人の誕生のような
放逸さなのかもしれません。
季節はやってくるものなどでなく、
認識をする側の問題でしかないのですから、
暦がなんと口をはさもうと、
それを気にしてはいられない。
できそこないの剣のような積雲のひろがり
そこに、もう確かに冬が縁取りするようにいるとしたら
濡れた枯葉の中で秋は所在なげにうつむき
証明しようとするのは、億年より繰り返される
季節の変遷、消え去るのではなく、再生するため
やってきた源への帰還なのです。
秋の中に冬が宿っているように、すでに
シャクナゲのつぼみが、寒さを押し分け夏を待つように、
秋の中には、春と夏も、またくる秋さえも含まれている
季節がめぐってくるなどと、簡単に説明をすることなど
できはしないのです。
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つめたい雨にリンゴのにおいをかぐように はっきりと
今いる季節を認めてしまうことができるなら
その証拠が、街にみられるということなのですから、
取り違えてはいけないと
街を歩きながら
ひとり、自分の幸せだけを祈っては
あたしは、それを確かめて
いたのでしょうか?