群像
生田

 夜、駐車場で、コアントロー、コアントロー、と男が呟いていた。絞めつくような夜気に当てられたのだろうか、もしくは酒気か、三方を囲むビルディングは夜の店であったから酒に呑まれた人間であっても珍しくはなかった。その横を通り過ぎた少年が400ccのバイクにまたがり、鍵を回し、火を点ける。ドゥル、ドゥルルと不機嫌そうな声が街の喧騒に紛れ込む。エンジンが暖まるのを待つついでに先ほどの男の方を見ると、男はうつむき吐いていた、吐きながらもコアントローと呟いていた。男の身体の何処かに蓄積していたコアントロー、身体の何処かを通ってコアントロー、男の口から吐き出されたコアントロー、が駐車場に散らばっていったコアントローを頭に描いて少年はまだ不機嫌なバイクを駆り、走り出す。

 行くあては特にない。自分を持て余しそうな時に少年はバイクを走らせる。道なりに走ればどこに着くか分かっているから、知らない入り口ばかり選ぶのだけれど、最後は知った道に帰ってくる。田んぼの真ん中、直線に伸びる国道にぽつねんと赤く灯る信号の下で、少年はどうにも生きている心地がしない。

 今夜も屋台で、過ぎていく車のライトを眺めている老人は、ラジオの野球中継を聴いている。聴きながら酒のにおいのする男の客のためにラーメンを作る。ここ数十年、誰かのためにラーメンを作ってきた老人の、ラーメンを作る前の人生を客は知らない。知らないままに男は泣く。一杯の牛乳のために毎朝泣きたいといってた友人は、毎朝泣けずに泣きたいといったのだろう、だから、一杯のラーメンのために泣ける俺は幸せだろう、と泣いて、幸せだなんて思っちまう自分に、また泣いて、今夜も試合延長につき放送を延長して、とラジオの音声がのびたラーメンに響く。


散文(批評随筆小説等) 群像 Copyright 生田 2004-09-18 23:08:49
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