フェリー乗り場のひと
恋月 ぴの
あかぎれた手の甲は膝のうえに重ねたままで
ふぅっと深くため息をついてみる
シャッターを下ろした売店脇の柱に掲げられた時計は11時55分過ぎを指していて
どうやら今夜もフェリーは出航しないらしい
乗船券売り場の窓口はカーテンで締め切られ
だらしなくチェーンを渡した乗船口に係員の姿は無く
それでも、わたしを含めフェリーの出航を待つ黒い影がいくつも
広い待合室のベンチである種の覚悟を決めたのか
ただひたすらと息を潜めそのときを待つ姿は
ぽつりぽつりとワックスのきれた床を濡らす雨染みのようでもあり
時計の針は新たな一日の訪れをわたし達に知らせてくれた
少し離れたベンチにはねんねこを羽織った女の姿
背から伝わる母の不安を察したのかむずかる赤子をあやしながら
見果てぬ地方の子守唄でも口ずさんでいた
それでも明けぬ夜が無いように何れ窓口に灯りはともり
安っぽい情けなど無用と忙しくカーテンを開く厚化粧の指先
チェーンを外した改札口には係員の姿かいま見え
冥府行きフェリーの出航を知らせるアナウンス待合室に流れる
そのときわたしはためらうことなく
そして後ろを振り返ることなく乗船できるのだろうか
永久の旅立ちを待ち望んでいたくせして
いざとなれば恐れおののき逃げてしまいたくなる
そんな心模様を見透かしたかのように
わたしの安否を気遣う家族からの着信音鳴り止まぬまま
待合室から早く逃げだしてこいとわたしを急かす