半死半生−シュレーディンガーの猫−
Kazu.

量子力学のパラドックスに「シュレーディンガーの猫」というものがある
じつは原子爆弾もコンピュータも
シュレーディンガーさんの方程式で動いているらしい(多分)
入門書を何度読み返してみても
一向に理解できない自分の不甲斐ない脳ミソはさておき
このパラドックスの実験装置はいたってシンプルだ
放射性物質のラジウム
放射線を検出する検知器
検知器とつながった青酸ガス発生装置
そして生きている猫
たったこれだけを 中身の見えない箱に放り込んで蓋をするだけだ
以来
1935年より今日に至るまで物理学者たちは口角沫を飛ばして議論した
もちろん 
「猫は生きているのか死んでいるのか」という
猫にとっての問題じゃなくて
密閉容器のなかで
ラジウムが放射線を出すと検知器が感知して
感知すると同時に青酸ガスが発生する仕掛けになっていて
ラジウムが1時間以内に放射線を出す確率は1/2としたら
1時間後の猫の運命やいかに・・・
ということが大問題らしい(多分)
この際 実際の猫の生死はどうでもいいわけで
物理学者のひとりはこう言う
「箱を開けて観察する前の猫の状態は
猫の生の状態50%と死の状態50%が合わさった状態
つまり生と死の両方を兼ね備えた(まさしく半死半生の)猫がいる」


ここで浅学の徒としては考えてしまうのだ
ヤクザのヤキヲイレルほかにも「半死半生」があったのだ
ヤクザの半死半生は生きているけれど
学問上の半死半生は
死んでいるのではない しかし生きているという訳ではまったくない
という とても中途半端な状態で
そこに「存在しているだけ」らしい(多分)
ちょうど足のあるユウレイみたいに
猫にとってみれば
「生と死の両方を兼ね備えた猫が存在するだけである」
なんて言われても 
どうしたらいいのか 
「神様 はっきりしてよ」
と 言いたいことだろう


  量子力学の世界は 日常の感覚では表現できない世界なのだという
  (表現してはいけない世界なのだともいう)
  けれども 原子の存在は量子力学に支配されていて
  その原子の寄せ集めであるところのぼくは
  非日常の世界の集合体より成り立っている
  としたのならば
  今 ここにいるぼくとは
  一体 何者なのだろう
  日々の暮らしのなかで あれも忘れた これも不確かだ
  遠くなりつつあるぼくの記憶のなかで
  50%の生と50%の死は何を示唆しているのだろう
  そして 最終通告の青酸ガスは
  いつぼくに向けて発射されるのだろう


かくして愛猫家は言う
シュレーディンガーさん 猫はいけませんよ 猫は・・・
あんなかわいい動物で実験したら化けて出ますよ
せめて 犬か猿で
そうだ
ぼくの周りにいるあいつならいい



※最終行の「ぼくの周りにいるあいつ」の「あいつ」を
特定な「固有名」に差し替えて読んでもかまいません


自由詩 半死半生−シュレーディンガーの猫− Copyright Kazu. 2009-11-08 18:29:56
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