いのししを逃がさない男
オノ

いのしし見張り師の朝は早い。
いのししより先に目覚めなければいのししは
逃げてしまうからだ。。
まだ薄暗い山麓の傾斜地をいのししの柵めがけて
歩き始めるいのしし見張り師。
いのししの柵は5メートルほど囲いきれていない
場所があるので、そこを見張っていれば基本的に
逃げられることはないのだと言う。
いのししの柵に辿り着くと、いのししはすでに
起きていたが、別に逃げられてはいなかった。
ほっと胸を撫で下ろすいのしし見張り師。
今回はいのししに逃げられなかったが、
いのしし飼いにとってはこういったミスが
命取りになることが多いのだという。

ふいにいのしし見張り師の顔が曇る。
事情を聞くと、いのししが反抗的な目で彼を
見ているのだという。
いのししが逃げるのはたいてい、そういう目で
見張り師を見た後らしい。
いのしし見張り師はおもむろにいのししに近づくと、
いのししの尻をピシャリと叩いた。
悲鳴をあげ、走り始めるいのしし。
いのししは、図ったかのように柵のない5メートル
のところに向かって走る。
「それ、きた!」
いのしし見張り師の目つきが職人のそれに変わる。
猛スピードでいのししに追いつくと、
柵のない箇所を半身出たくらいのところでいのししを食い止めた。
わずか15秒の顛末。神業である。
「まったく、甲斐のない商売ですよ。
いのししの餌代はばかにならないし、いのししを
逃がさなくても誰も給料は払ってくれないからね。」
煙草をふかしながら見張り師はおどける。
「でも、この伝統は絶やしちゃいけない。
僕がやめたら、いのしし見張り師はこの国から
いなくなっちゃうからね。」
見張り師の目は決然と前を見据えていた。


自由詩 いのししを逃がさない男 Copyright オノ 2009-11-08 01:51:32
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