「落陽」(1/3)
月乃助

 マロニエの街路樹が黄葉に色付き、小ぬか雨が毎日のように降り始めると、もう秋冷の季節がやってきていた。
 まとわり付くような秋雨の中、娘ははダウンタウンで彼と落ち合うと、一緒に通っている大学からのバスを乗り継ぎ、海岸線の住宅街まで遊びに来た。
 そこは、歴史を感じさせるビクトリア朝の屋敷をところどころに目にする、そんな閑静な町並みだった。
 娘は今日のために彼に食べさせてあげようと家でパンプキンのクッキーを焼いてきた。それは今も、娘のバッグの中で時折かさかさと音を立てている。
 ここへ来たいと言い出したのは娘の方で、彼はそこが町のどのあたりになるのかも知らずにいた。
 今、急な坂を登り始めた二人は、車がやっと一台通れるほどの細い道を、丘の頂上を目指して歩いている。
 丘には、今は使われていない昔の気象台がぽつんと一つ残っている。白いドームを頂いたその姿は、地中海の旅行パンフレットに載っていそうな、ギリシャの白壁の家を思い起こさせた。
 その丘は、この町に来た当時、娘がたまたま知り合いに教えてもらった所で、この町のガイド・ブックなどにも載っていない場所だった。夏、初めてそこから見た景色を娘は今でも忘れられない。古い屋敷だらけの閑静な町、留学に来た町についてはそんなイメージしか知らずにいたのに、こんな爽快な景観が見られる丘もあるんだとその景色を前にし娘は胸を打たれた。
 青天と光る海峡、それに雪を頂いた銀嶺の山脈がその向こうに、それぞれが自分の存在を謳歌するかのようにあって、娘の目に焼きついてしまった。
 娘は、どうしてもこの景色を彼に見せたかった。
 一緒にいる青年は娘より二つ上で、この冬には日本に帰る。
 秋に取り残したユニットを取ると短大を卒業するが、日本での就職もすでに決まっていた。娘は十九。まだ、大学に入ったばかりで、ここの短大を卒業した後は、やはりこの町にある総合大学の三年に編入を考えていた。そのため、娘が帰国するのはまだ四年も先の話だった。
(つづく)


散文(批評随筆小説等) 「落陽」(1/3) Copyright 月乃助 2009-11-04 05:28:49
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