『美津』のはなし
亜樹
地下鉄のホームはいつも妙な匂いがする。田舎育ちの美津には、あまり馴染みのなかった匂いだ。地下鉄のある街に引っ越して、もう3年がたとうとしているのに、未だ慣れない。
地下鉄に乗るとき、いつも美津が中学生だった頃、テレビでどこぞのコメンテーターが、「地方はどこの家庭にも一人に一台車がある。随分と豊かだ」などという発言をしたのを聞いた父がひどくしぶい顔をしていたことを思いだす。
別に、金があるからこおとるわけじゃねえけぇ、と今なら父が言わなかった言葉が、美津にもわかるような気がする。美津もこの街に来るまでは、毎日車を運転して職場へ行った。熱のある日も、書類の作成でろくに眠れていない日も。しようがない。車で行く以外、30kmはなれた職場まで行く方法が、美津にはなかった。同僚も上司もみんな同じだ。それが普通だと思っていた。
しかし、こうして地下鉄のある街へきても、こっちのほうが断然いい、などとは思えない。熱がある日も、病院へ行くときも、人ごみを掻き分け、自分の足で夏には暑く焼けたコンクリートの上を、冬には冷たい風の中を歩かなければならない。
肩から提げた荷物が重たい。美津はため息をついた。
こうした、ぼんやりとした時間、美津の暇つぶしは、もっぱら頭の中で『おはなし』をつくることだった。
くくる、という言い方は、もしかしたら相応しくないのかもしれない。それは意識することなしに勝手に生まれてくるのだ。ちょうど、夢を見るように、美津の頭の中で『おはなし』は紡がれる。
『おはなし』の主人公は、いつも美津だ。それは例えば、地下鉄に乗っていない美津。大学に進学しなかった美津。剣道部に入らなかった美津。通学途中に柿の実をとらなかった美津。屋根から落ちて足を折らなかった美津。病院で生まれなかった美津。父親からXの染色体を貰わなかった美津。誕生日が6月3日でなかった美津。生まれてこなかった美津。
選ばなかったたくさんの分岐の、その先を歩いている自分。老人であれ幼児であれ、美津から生まれる『おはなし』は、どれもこれも全部美津の話だ。
それもそうだろう、と思う。自分の中から自分じゃないものが生まれるだなんてことは、美津には想像もできない。
ならば、と美津を思う。
近頃随分と大きくなった腹部を撫でながら。
この中から生まれてくる『美津』は、この頭の中で紡がれたたくさんのおはなしの主人公たちの、一体誰に似ているのだろうか、と。